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山谷剛史の「アジアIT小話」 第72回

SARSやウイグル騒乱も影響! 中国インターネットの20年を振り返る

2014年05月01日 12時00分更新

文● 山谷剛史

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ADSL普及によりコンテンツやサービスがリッチに

 中国のインターネット企業の成長が外部にも知られはじめた。老舗ポータルサイト「新浪」「捜狐」「網易」の3サイトが2003年に米ナスダックに上場し、さらに2004年には「騰訊」が香港市場に上場した。

 2005年以降、インターネット利用者が億を超え、さまざまなサイトが軌道に乗っていく。ADSLが普及すると動画サイトが登場し、また百度mp3検索や、Flash動画などのリッチコンテンツが充実していった。中国国内向けサービスとコンテンツが充実していく一方で、さまざまなインターネット規制が暗に進んでいく。

 2005年は「Web2.0」元年だった。力をつけてきたポータルの「新浪」「捜狐」と検索の「百度」とチャットの「騰訊」がこぞってこの年にブログサービスをスタート。

 翌年には、女性芸能人「徐静蕾」のブログが人気となって、「ブログの女王」と呼ばれるようになった。同年末にFacebookにそっくりなSNS「校内網」がスタート。2008年に農場ゲーム「みんなの農場」(開心農場)とセットで一気にブレイクする。

 このときから今に至るまで、著名企業がWeb2.0サービスでのユーザー獲得合戦を行なっている。

 一方で、各ブログで検閲がなされているということが、外国メディアの間では報じられるようになった。またこの年Wikipediaにもアクセスできなくなった。

 ADSLが本格普及を見せる2006年にはYouTubeに似た動画サイト「優酷」(YOUKU)が登場する。中国の動画サイト元年といえるだろう。一方で、同年にYouTubeが繋がらなくなる事象がたびたび発生するようになる。

 こうした中でも優酷をはじめ、さまざまな(米国で見たような)新サービスを立ち上がり、米国からの大型投資があったことが報じられ、話題となった。

北京五輪でモバイルが普及
中国政府の規制の動きも見えはじめる

中国のモバイルネットユーザーの推移

中国のモバイルネットユーザーの推移

 2006年の大きな動きは動画サイトのほかに、オンラインゲームで見られた。それまでは韓国など外国のオンラインゲームがメインだったが、中国産の本格的なオンラインゲームが登場し、「ゲームは無料、アイテムで課金」のビジネススタイルが確立される。

 しかし、このタイミングで中国政府はオンラインゲームのやりすぎに対処すべく、ルールを作ってユーザーの利用を制限した。オンラインゲームベンダーは勢いづき、2007年には複数のベンダーが上場する。

 2007年にはTwitterにそっくりなミニブログのサイトが多数登場する。その後2009年に新浪から「微博」(Weibo)がリリース。2013年夏にフォロワー数が非常に多い人々を取り締るまでは、SNSのスタンダードとなる。

 2008年は北京五輪の年。インターネットユーザーが2億5000万人を超え、世界一となったこの年に、モバイルにおいて大きな変化が起きた。

 北京五輪にあわせて3G網の整備が進み、中国のTD-SCDMAからスタートし、続いてW-CDMAとCDMA 2000のサービスがスタートした。当初はマニアが飛びついたため、W-CDMAと外国向け人気機種の組み合わせが人気だったが、それから5年後の2013年にあまりITに関心のないマスの層がTD-SCDMAに移行し圧倒する。

 とはいえ、モバイルでの利用は3Gを利用する人よりも2G(GPRS)を利用する人が目立ち、少量のデータ通信量だけで読めるネット小説が人気になった。

フィーチャーフォンでのインターネット利用者はほとんどいなかった

フィーチャーフォンでのインターネット利用者はほとんどいなかった

 さて、北京五輪(の特に開会式)をきっかけに、海賊版だらけの動画コンテンツにメスが入り、ちゃんと配信権を持っている動画サイトが配信し、違反した企業は賠償請求する習慣ができた。

 これ以降、時間はかかるが動画サイトで配信される海外のコンテンツも正規版化していく。海賊版問題でいえば、2009年にはもっとも有名な海賊版Windowsの作成者が逮捕された。

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