テレビは進化を続けているのに、リモコンは昔のままだ。このままでいいのだろうか。
テレビのリモコンといえばこれを思い浮かべるだろう。
だが、このリモコンは無くなるべきなのだ。その理由を説明しよう。
今のリモコンは、チャンネルが4種類程しかなかった時代には、テレビを操作するのに最適な手段だった。電源のオン・オフ用ボタン、チャンネルや音量の変更ボタン、そして(当時の)最先端機種であれば数字のボタンも付いていたかもしれない。方向キーや設定ボタン、四色のカラーボタンやガイド・コントロールなどは存在せず、必要でもなかった。テレビは放送される番組を見るための道具であり、リモコンはチャンネルを切り替えるために使われた。実に単純な話だ
もちろん、この懐かしき単純な世界はもはや30年も前の話で、それ以降世の中はめまぐるしい進化を遂げている。テレビは単なるスクリーンから、ホーム・エンターテイメント・センターの一部へと変化し、最近ではさらにインターネットのハブへと進化を遂げている。最初は一桁台だったチャンネル数も、何千へと膨れ上がってしまった。さらには BBC iPlayer、Netflix、アマゾンの Instant Video、および Hulu のようなオプションが登場したおかげで、今やテレビを持っていなくてもお気に入りのテレビ番組を見ることができる。
テレビの進化は急激で極端なものだった。しかし一方のリモコンは、まるで歩みの遅いカメだ。より大きく、よりかさばるようになっただけで、進化したとはとても言えない状態である。
テレビ側の進化にリモコンが追いついていないため、世界中のユーザーは不便なナビゲーションを強いられている。アルファベットと数字のキーボードを駆使したり、方向キーを連打しながら延々と続く番組表をスクロールしたり、たまに方向キーではそれ以上進めなくなり、すぐとなりの列に進むだけなのに一旦カラーボタンを押さなくてはならないといった有様だ。セットトップボックスやブルーレイ・プレイヤーなどの新しい機器を購入する度に新たなリモコンが増え、またその操作方法を覚えなくてはならないのだ。この状況がいかに不便であるか、お分かりいただけるだろう。
テレビというのは一般的に処理能力があまり高くなく、それを操作する唯一の手段であるリモコンも、非常に旧式で全く標準化されていない。
しかし、改善の余地はまだ残されている。
メディア・ストリーミング・デバイスの Roku、Apple TV、Google Chromecast 、あるいはゲームデバイスの Xbox One などはテレビを大きく変えてしまった。こうしたデバイスでは複雑なメニューを迅速に操作することができ、コンテンツにすばやくアクセスできる。また、標準的なフォーマットや機能を守りつつも、余計なボタン類を排除してリモコンの再設計を行い、シンプルで機能的な操作方法を導入している。出だしは好調だが、さらなる進化の余地はまだ十分にある。
また複数の企業が、通常のリモコンの代替案として iPhone や iPad、Android 携帯などのタッチスクリーン・デバイスにテレビ(またはセットトップボックス)のコントロールを表示させる仕組みを模索している。これは、ユーザーのニーズや状況に応じたボタン・セットが表示されるように設計されている。
こうした代替案では、接続しているモバイル・デバイスからのジェスチャーや、音声コマンドにも対応させることが可能だ。ユーザーは自分専用のデバイスを使って、ナビゲーション・メニューやプログラム・ガイド、そして再生コントロールを効率的に操作することができるようになる。メールアドレスを入力する際や、電子番組表(EPG)のチャンネル 800 に遷移したりする際、狭いスペースにぎっしり詰め込まれた大量のボタンを一つ一つ押す作業から解放されるのだ。
しかし残念ながら、従来のリモコンもまだ絶滅していない。それが生き残っている理由は、人々がリモコンを使うことに慣れてしまっているからだ。テレビを操作するとき、リモコンを手に取るのはもはや自然な動作になってしまっているのである。
テレビが新しい娯楽として普及するのを幼少期に経験した世代の人なら分かるはずだ。カウチから腰を上げずにテレビを操作するために、リモコンは必要不可欠な存在だった。そんな彼らにリモコンの代わりにスマートフォンやタブレットを使うように頼んでみたところで、すんなり同意してはくれないだろう。すっかり慣れ親しんでおり、使い方も(概ね)理解しているリモコンを手放してまで、今更新しい操作方法を学びたくはないのである。一方ミレニアル世代にとっては、iPhone で Apple TV を操作することに抵抗はない。問題は彼らの両親の世代なのだ。
さて、どうしたものだろうか。我々はこの古い「リモコン世代」がいなくなるのを待つしかないのだろうか? たかがリモコンの話であり、それほど深刻な問題ではないのかもしれないが、やはり非効率的な現状をなんとかする必要はあるだろう。とはいえリモコンが生き残ってきたのにはそれなりの理由があり、単純に新しいものを持ち込んでも定着しない。現状のリモコンを活かしつつ、改善する方法を考えだす必要がありそうだ。
私にもこれといった解決策があるわけではない(もちろんあったとしても公表はしないが)。だが答えを見つけなくてはならない疑問は見えているので、以下に挙げてみよう。
何を操作するのか?
対象が普通のテレビである場合、それを補助するデバイスがまだ非力であるために、第二のスクリーンとしてリアルタイムに表示処理を行うことができない。止まってしまったり、ローディングに時間がかかったりといった制限がどうしても付きまとってしまう。それにユーザーがテレビ本体しか持っていない場合、わざわざリモコンを買い換えるとも思えない。
また、対象がセットトップボックス(あるいはタブレットやスマートフォン)である場合は、メディアプレイヤーをスクリーンと連携させて室内のどこからでも操作することができる。これまでのように、わざわざテレビの直線上に(しかも障害物を避けて)移動する必要はない。操作が簡単になるほど、ユーザーに使ってもらえる可能性も高まる。
誰が操作するのか?
母親や父親か?それとも祖父母か?あるいは子供なのか?こうしたユーザー層ではそれぞれにリモコンの使い方が異なるが、共通するニーズもある。それは直観的な操作だ。
ジェスチャーは一度使い方を覚えてしまうと便利だが、最初からすべてのユーザが使いこなせるとは思えない。そのためジェスチャーを使った操作は簡単で覚えやすく、なによりも楽しめる必要がある。
ユーザーがアクションを行なった場合には、ポジティブなフィードバックを返すようにしたい。人間は褒められるとまた繰り返したくなるものだ。何度もやるうちにそのアクションを記憶してくれるだろう。タッチスクリーンならではの技術と表現力を使えば、直観的で楽しい操作を実現できるはずだ。これには心理学者も賛同するに違いない。人は褒められて伸び るものだ。
デバイスはいつ使われるのか?
リモコンがここまで長く使われ続けている理由の一つには、その手軽さがあげられるだろう。タブレットやスマートフォンではまずデバイスをアンロックし、アプリを起動するという手間がかかってしまう。これは意外と大きな障壁となる。ただリモコンを手に取ってテレビに向けるほうがよほど簡単だからだ。
私の意見ではこの障壁こそが、我々が他のデバイスをメインのリモート・コントロールとして使わない最大の理由だと思う。スクリーン上での操作は分かりやすいことは分かりやすいが、何しろ求められるアクションが多すぎるのだ。
理想的には、各自のモバイル端末に「リモコン機能」が搭載されていて、デバイスをアンロックせずとも使えることが望ましい。リモコン機能には誰もがアクセス可能で、デバイスを手に取ればいつでも使えるのだ。しかしこれは既存の慣習やルールを変更する必要があり、デバイス・メーカーやOS開発者たちには歓迎されないと思われる。しかし、音楽の再生コントロールがスマートフォンやタブレットのロック画面からでも操作できるようになったことを考えれば、テレビ・コントロール機能の搭載もあり得るかもしれない。
決して簡単な道のりではないだろう。人の習慣を変え、新たな規範を確率するのは長くハードなプロセスであり、忍耐と投資、そして戦略が必要となる。しかし目的を忘れずに努力を続ければ、リモコンという古い不便なデバイスを葬り去ることができると私は信じている。そうすることでようやく我々は、テレビという慣れ親しんだ友人を、真にインタラクティブな世界に迎え入れることができるのである。
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※本記事はReadWrite Japanからの転載です。転載元はこちら。