このページの本文へ

World of Tanksの世界へパンツァー・フォー 第10回

74式の試作車両などTier5~10のWorld of Tanks日本戦車を解説

待望の自衛隊車両だ! WoT日本戦車14両の基礎知識その2

2014年02月28日 18時00分更新

文● 有馬桓次郎

  • この記事をはてなブックマークに追加
  • 本文印刷

World of Tanksでの日本戦車の躍動を見たい人は、まず公式の導入記念ムービーをチェックすべし!


ステータスは“攻”に極振り!
三式中戦車チヌ改

ゲーム内表記は「Type 3 Chi-Nu Kai」

 三式中戦車チヌの発展型。なおチヌ改、あるいは三式中戦車改という名前は後世の研究者が便宜上つけた名前で、当時は特に名前はつけられてなかったみたい。

 前述した新型中戦車の開発には時間がかかる見通しだったから、この新型中戦車に搭載予定の五式七糎半戦車砲を三式中戦車に載せて攻撃力を強化したタイプ、って感じ。搭載方法には2つのやり方が検討されていて、三式中戦車の砲塔に無理やり収めるか、あるいは四式中戦車の砲塔をそのまま載せるかの、いずれかの方法が考えられていた。WoTで登場するのは、おそらく後者のほうだ。

 なにせ一式中戦車と変わらない小さな車体に大きな四式中戦車の砲塔を載せたもんだから、前方から見ると車体から砲塔の両サイドが微妙にハミ出してたり、内部の機器が干渉するもんだから360度の砲塔旋回が不可能だったりと、すさまじいヤッツケ感がある珍妙な戦車だった。

 ただ攻撃力に関しては申し分なく、また溶接工法をさらに多用することで防御力も幾分かアップしていた(言い忘れてたけど、リベット接合だと被弾した時にリベットが折れて装甲板が落ちたり、折れたリベットが車内を跳ね回ったりする)。

 ゆくゆくは三式中戦車の生産はすべてこのチヌ改に変わる予定だったけど、結局終戦までに誕生したのは試作車1輌のみ。この試作車は四式中戦車の砲塔を載せたタイプのほうで、一応は試験の結果は良好だったという。

猪鼻湖に眠ると言われる伝説の戦車
四式中戦車チト

ゲーム内表記は「Type 4 Chi-To」

 1942年に開発スタートした甲乙2種類の新型中戦車のうち、甲案にあたるのがこの四式中戦車チトだ。当初は長砲身47mm砲搭載で最大装甲厚75mmとしていたが、後に長砲身57mm砲搭載に計画変更され、さらに1944年になると長砲身75mm砲搭載へと変遷。ようやく各国の中戦車と同等の戦闘力を持つ中戦車が生まれることになった。

 搭載する五式七糎半戦車砲は、日中戦争で中国軍から鹵獲したボフォース75mm高射砲をベースに開発されたもので、その威力は諸説あるけど距離1000mで112mmの装甲板を貫通可能といわれる。当初は日本人の体格にあわせて半自動装填装置を装備していたけど、この半自動装填装置に問題が多発して、四式中戦車には半自動装填装置を取り外したII型が搭載されている。

 砲塔に関しては、生産性向上のため鋳造工法(鋳型に流し込んで成形する工法)が当初から取り入れられていた。ただ日本の鋳造技術ってのが各国に較べて非常に遅れていて、敵であるM4やT-34が一体成形であるのに対して、四式中戦車のは分割して鋳造されたパーツを後で溶接して一つにする方法だった。そのぶん生産性は悪くなるし、鋳造鋼板は通常の圧延鋼板よりも耐弾性能に劣るので、防御力は額面より割り引いて考える必要がある。

 終戦までに完成したのは2輌。その内1輌は試験のためアメリカに運ばれて、その後行方不明に。残る1輌は終戦直後に浜名湖の北にある猪鼻湖に沈められたという説があって、その水中調査を追ったドキュメンタリー番組が去年作られたりしてたっけ。

二刀流の優れものになるハズが……
五式中戦車チリ

ゲーム内表記は「Type 5 Chi-Ri」

 前述の新型戦車開発計画のうち、乙案の方がこの五式中戦車チリ。最初は長砲身57mm砲を搭載した固定戦闘室の駆逐戦車として開発がスタートしていて、おそらくこの時点では甲案・四式中戦車の火力支援用として考えられていたのが窺える。これがやがて長砲身75mm砲搭載・全周旋回砲塔の中戦車として計画変更されたわけだ。

 搭載砲は五式七糎半戦車砲(こちらは半自動装填装置付きのI型)で、攻撃力は四式中戦車と同じ。装甲厚も最大75mmと同じだけど、こちらは圧延鋼板を溶接で組み上げる方法だから、四式中戦車よりも防御力は高い。

 この戦車の大きな特徴として、車体前方に副砲として37mm砲を装備していたこと。これは主砲の長~い装填時間をカバーして、多くの砲弾を敵に送り込むために装備されたものだ。もちろん戦車には効かないけれど、歩兵や軽装甲の車両相手なら十分に役に立つ。さらに大馬力ガソリンエンジンを搭載していて、四式中戦車よりも重くなったにもかかわらず最高速度はほとんど変わってない。

 他にも目に見えない特徴としては、砲塔が日本戦車では初めてバスケット構造になったこと。つまり砲塔に床がついたことで、乗員が砲塔の旋回にあわせて移動しなくてもよくなり、またバスケット上に予備砲弾を搭載することで装填手は余計な労力をかけずに砲弾を取り出しやすくなった。すなわち、連射速度や即応性といった点で戦闘力が飛躍的に向上したわけだ。

 とまあ、いい事ずくめのような五式中戦車だけど、よく考えたら主砲は四式中戦車と一緒だし、数字の上では装甲厚も同じだし……で、「もしかしてこれって手間が増えただけで、同じような戦車を2つ同時に作ってるだけなんじゃね?」という感じがしないでもないわな。

 陸軍もしっかりその辺は気付いており、実際には量産計画は四式中戦車に集中していて、五式中戦車に関してはほぼ量産を諦めた形になっていた。終戦時には試作車1輌のみが、主砲未搭載の状態で完成している。

カテゴリートップへ

この連載の記事

注目ニュース

ASCII倶楽部

ASCII.jpメール アキバマガジン

クルマ情報byASCII

ピックアップ