島内最大の65号棟から
最端の学校へ
当時からすると先進的すぎる構造体やエレベータ-、水洗トイレなど、人口密度と密集するビルの構造(Googleマップを見るとわかるが、居住区は島の半分もない)も合わせて、人口過密の激しい現在の都市部に似ていると感じた。
職員住宅として使われた65号棟と、その奥にある小中学校
道中は基本狭い路地と高層ビルに囲まれていた状態。秋葉原のパーツ街くらいの道幅だ
コの字型の65号棟。屋上には保育園もあった
65号棟北側はだいぶ破損が進んでいた
65というナンバリングからか、鉄骨はだいぶ太くなっていた
階段を登って65号棟の屋上へ
自然光の取り入れが少ないため、通路は昼間でも暗かった
65号棟屋上。当時としては珍しいタイプの煙突
65号棟屋上から小中学校を見たところ
こちらも小中学校。端島が役目を終える直前に完成したのもあり、工法が他の号棟と大きく異なっていた
65号棟はコの字型なので密度がステキ
小中学校・65号棟間にある避難用の橋。使われることはなかったそうだが、薄すぎである
楽器の残骸も屋上にあった
アミューズメントホテルの最上階にありがちなお風呂ではなく水槽(今回のツアーで行った人の大半が、お風呂だとしばらく思っていた模様)
小中学校。日の当たりのいい場所と、光を取り入れるために窓が大きいところがデザイン的な特長だ
小中学校内。随所に年代的に不法侵入と思われるスプレーの落書きが多々あった。主にメジャーな大学名が散見された
給食運搬用エレベーター。当時、日本初の採用だった
教室に置かれていた楽器。最上階が音楽室なので、おそらく運搬され、意図的に配置されたもの。ちょっと絵になる場所にありすぎた
内側から見ると窓の大きさがよくわかる
最上階の音楽室
廊下はいわゆる学校の廊下といった感じ
小中学校の基礎部は浸食により露出している。小中学校内を歩いているとき、海側にいくほどコンクリートがふわふわしていると感じたのはこれが原因だった
船に向かっているところ。あちこちコンクリートが抜けていた
最後に端島の外観を眺めてツアーは終了した
軍艦島上陸・周遊ツアーでも十分堪能できる
軍艦島コンシェルジュが行なっている軍艦島上陸・周遊ツアーは、冒頭で紹介した見学広場から軍艦島を見ることになるが、それだけでも遺跡っぽい雰囲気を満喫できる。
今回は特別な許可を得て内部を取材できたが、状況を熟知したガイドなしでは相当危険だ。あちこちコンクリートが抜けているだけでなく、薄くなっているため、崩落する場所も多々あるという。今回は軍艦島の3分の1ほどを見て回れたわけだが……機会があればもう1度機材を揃えて行きたいものだ。
筆者紹介――林 佑樹
フリーランスの編集・ライター、ときどきフォトグラファー。何気に廃墟を撮るのはほとんど初めてだったり……。