ダラダラとした日常を
ただダラダラとしたまま記録し続けるような仕組みは無いものか
しかし、ここまでしてなぜ、我々人類は自ら進んでライフログの取得に励むのでしょうか。Instagramでは食べる前の食事を撮り、foursquareでは居場所を盛大にバラし、Facebookのタイムラインにはそうしたものが一括して載ってしまう。そうしたデータを総合すると、あっという間に個人が丸裸にされてしまいそうです。って、まるでクローズアップ現代のナレーションのようですが。
その昔、写真を撮られると「魂を抜かれる」と怖れられた時代があったと聞きます。そして現代では、そのサービスを使うと「個人情報を抜かれる」と恐れられているものがあります、LINEとかね。
思い起こしてみれば、Twitterが流行り始めた頃、個人の日常を全世界に告知しまう行為について「ダダ漏れ」という言葉が生まれましたが、最近ではほとんど聞かれなくなりました。つまりダダ漏れが常態化して、それに違和感を持つ人が少なくなった。だから、そろそろ個人情報を抜かれることに、恐れを感じない人類も登場するのではないでしょうか。電話番号くらいいいだろうと。
この樹脂製リストバンドを装着した直後、私は「孫悟空の頭についてる輪っか」を夢想したのを覚えています。活動状況を絶えず監視されている猿のような存在とか、ディストピア小説におけるコンピューターに紐付けされた人類のようなものを。
ところが今では、もっと装着していることを意識させず、ダラダラとした日常を、ただダラダラとしたまま記録し続けるような仕組みは無いものか。何ならそのログの公開さえ厭わない、そう思っているわけです。UPは、まだそれにはちょっと面倒臭い。
この面倒という人間の意志こそが、現代のコンピューター文明を成立させる根源なわけですから、その帰結としてのライフログ取得にも、同様の原則が働くであろうことは疑う余地もありません。具体的には、有線接続よりワイアレスのほうがいいんじゃないかと思える部分もあり。
ただ、Jawboneと言えば、Bluetoothスピーカーやヘッドセットでお馴染みのブランド。そのメーカーがあえて有線接続を採用したからには、それなりの理由があるはずです。バッテリーの持ちであるとか、より広範なユーザーに簡単、確実に使ってもらうためとか。
ならばワイアレス接続になるとライフログ取得の実感はどうなるのか。そこでUPのコンペチターである「Fitbit」という製品をただいま手配しておりますので、いずれその印象をお届けできるかと思います。
著者紹介――四本淑三
1963年生まれ。高校時代にロッキング・オンで音楽ライターとしてデビューするも、音楽業界に疑問を感じてすぐ引退。現在はインターネット時代ならではの音楽シーンのあり方に興味を持ち、ガジェット音楽やボーカロイドシーンをフォローするフリーライター。