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四本淑三の「ミュージック・ギークス!」 第121回

電子回路の持つ「固有の音楽」とは?

中古のオモチャが楽器に!? 誤用から生まれる音

2013年05月11日 12時00分更新

文● 四本淑三

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電子音楽と電子工作の系譜

―― じゃあなぜ、自作楽器で音楽なのかという話ですが。

船田 僕はポップ・ミュージックが楽しいし、可愛い女の子が電子音に合わせて踊ってたりするのが好きなんですよ。

―― ええ、それは知っています。

船田 僕の中の電子音の楽しみというのは、中学生の頃に聴いたKraftwerkから始まってるんです。その本は「Kraftwerkのような音も出るかもね」って20バイトくらい言及しているだけで、あとは違う、もうひとつの歴史を辿っているんですよ。ジョン・ケージ、デイヴィッド・チューダー、そしてローリー・アンダーソン萌えなわけですよ。踊っている女の子が違う。

―― まあ、そっちの流れも王道ですけど。

船田 僕もローリー・アンダーソンはリアルタイムではものすごく好きだったけど、あれはエンターテインメントではなくて、やっぱりアートとの中間の領域だと思うんです。

―― でも最近は「私、メルツバウ好きだから」とか言って、共立電子で部品を買ったりする女の子もいる。それが新しく見えるわけですけど。

船田 この人は1970年代からやってるわけ。その上はデイヴィッド・チューダーたちしかいないという世界ですよ。つまりトランジスタ世代ということ。真空管は出てこない。だからトランジスタが変えたんだろうね。当時、熱かったわけですよ。トランジスタ技術という雑誌が日本にありますけど、あれも1960年代にトランジスタの熱い息吹を伝えるために作られた。トランジスタだと、安全に安く小さく作ることができる。そういう時代の流れというのがあったんでしょうね。

―― 今ならデジタルでなんでもできるのにあえて、というところも面白いですよ。

船田 僕はコンピューター世代だし、そのときに手に入る一番面白いものが違うということなんだけど。そういう外的要件以外に、これを内的に選択した子たちが今いるわけでしょう。コンピューターで全部できるのに、何でこういうやり方をするのかと言えば、それは個々人のディープなところ、個性ということになるんじゃないかな。

―― 楽器を作ることと、音楽表現の手段としての関係はどうなのかという話もありますよ。自作楽器がオリジナリティーにつながる例というのは稀有なわけです。

船田 それを言っちゃうと身も蓋もないですよ。つまり、音楽として好きじゃないということで一刀両断できちゃう。もっと言うと「音楽じゃない」とかね。そこは議論になるところです。監修の久保田先生(※1)は「電子回路から単に出てきた音も、それは人によっては音楽なんだよ」とヒトコトで解決。でも僕の立場は違うのね。そこは最後まで納得できていないんだけど。その両方あるよと言うために、このサブタイトルにしたの。

※1 多摩美術大学情報デザイン学科教授。この本の著者であるニコラス・コリンズをレクチャーのために日本に招いた人。

―― 「音と音楽」ね。

船田 音を作れば、それは自然に音楽だと考える人もいる。それは否定できない。だってその人が音楽だと感じれば、それは音楽なわけだから。だけど、繰り返しのパターンを積み重ねることで生まれてくる音楽も、やっぱり音楽なわけ。それも、この著者は否定していないけど、あんまり追求はしていない。僕は人工的な繰り返しから生まれる心のゆらぎみたいな方が好きだけど、もっと人間として完成された人は、プリミティブな偶然から、それを感じ取ることができるんだろうね。感覚がより鋭いというか、あるいは知性が豊富というか。

―― OK。音楽表現にはいろいろありましょうと。ただ、いずれにしても伝統的な正しい電子工作からは外れているよね。

船田 そうね。そこは重要で、著者は非常にそれに自信を持っているわけですよ。「俺たちが始めた。だから俺達がやっているのが伝統的だ」という意識があるわけです。だから後は気にせず、感電だけしないようにして好きにやってみろと。そういうのが一貫してますよね。

―― そもそも電子楽器って、電力利用の誤用みたいな所があるから、そこは自由なわけですよね。テルミンだって、高周波発振器の干渉したビート音なわけでしょう。

船田 そうそう、じゃあ干渉してビート系から行こうかな。

―― ああ、なんか持ってきてくれたわけ?

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