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常見陽平の「ソー活のバカヤロー」 最終回

ソー活と就活の終わらない日常

2013年04月12日 16時00分更新

文● 常見陽平

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「今度こそ何かが変わる」という勘違い

 私がインターネットを本格的に始めてから18年になる。

 今の大学生や新社会人が知らないであろうMosaicやNetscapeなどをブラウザーとして使っており、ニフティのBBSにも参加していた。今よりも圧倒的に遅く不便だったが、それでも何かが変わるのではないかと思っていた。

 しかし、ネットの本質的な部分は当時から何も変わらなかった。意識の高いITジャーナリストたちが「米国ではこんなウェブサービスが出来ている。そのうち日本もこうなる」と何度もあおったが、結局何も変わらなかった現実を嫌というほど見てきた。

 就活とソー活を巡る問題も同じだ。ITジャーナリストやウェブ系の人たちがあおるだけあおったが、現状は何も変わっていない。

 別に彼らの予測がはずれたことを責めるつもりはない。ただ、「これで世の中が変わる」という幻想を振りまき、言いっぱなしで振り返りをしないのはどうなのか。この検証をしない限り、同じことの繰り返しになってしまう。

 先日、政府が経団連に就活の時期を後ろ倒しするように要請するというニュースが報じられた。これを聞いて私は「またか」と感じた。

 日本における就活の歴史は、高等教育機関が現代とほぼ同じかたちになった約100年前から、時期の見なおし論とそれを水面下で破ることの繰り返しだからだ。時期を見なおしたところで、「インターンシップ」や「キャリア支援セミナー」そして「ソー活」といった名目で、学生への早期接触が続くだろう。

 「日本の就活を変える」と言ったところで、結局それは時期とツールの議論でしかない。学生と企業の出会い方や雇い方、採用基準の話にはならない。そして、これらの議論は学生を救わない。ソー活は、100年変わらない日本の就活を象徴しているのだ。

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