マウスコンピューター 小松社長×週刊アスキー編集長 宮野 スペシャル対談

ボクらのPC15年史

文●みきーる 撮影●岡田清孝

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みんなマウスの早さに驚きなのだっ!
マウスコンピューター

マウスのように、いちばん人と触れていたい

「Easy-300」

【ピックアップ】白っぽいパソコン時代の後期に登場!

Easy-300。「弊社でオリジナルパソコンの販売を始めた当初のもので、思い出深いです」(小松氏)

宮野 いわゆる、現在の“マウスコンピューター”になられたのは、いつごろですか?

小松 マウスコンピューターという会社になったのは、'06年からですね。

宮野 最初はマウスコンピューター・ジャパン(以下、MCJ)というお名前でした。パソコンの事業は、MCJ時代からやられていたんですよね。

小松 はい。'93年ごろから、パソコン事業を立ち上げました。本格的にスタートしたのは、'98年ごろからですね。

宮野 あるときから、それまで誌面でMCJって書いていたのをマウスコンピューターに変えた記憶がありますよ。

小松 たしかまだ、アイボリーっぽい色のパソコンがいっぱいあったころですか……。

宮野 あの当時、なんでパソコンってああいう色だったんでしょうね(笑)。IBMPCから始まって。PC‐98もベージュかグレーでしたし、'90年代のパソコンは白っぽかった。

小松 その、白っぽいパソコン時代の最後のころ、パソコンに黒やシルバーを使い始める少し前から社名が変わりました。

宮野 でも、もともとの“マウスコンピューター”という名前はそのまま使われた。

小松 そうですね、そのあたりはやはり創業にあたった現MCJ会長・高島勇二の思いですね。人とコンピューターのかけはしになりたい。それで、ネズミのマウスじゃなくて、パソコンを手で操作するマウスのように、いちばん人と触れていたいという思いから来ているんです。そこの思いだけは、ずっと変わっていませんね。それをわかりやすく伝えるために、途中でマウスコンピューターという名前にしたり、ロゴをつくったり……そうしたことをしっかり行なってきたかなと思っています。

宮野 なるほど。ところで、創業期はどういう業態でいらしたんでしょう?

小松 当初はパソコンの販売事業を主にしていましたから、いろんなメーカーさんのパソコンを、お客さまに販売していたんです。ところがそのうち、「自分たちがいま売っているパソコンは、お客さまが求めているものと違うのではないだろうか?」という思いが強くなりまして。じゃあ、“これ!”というもの、“お客さまが本当に欲しいパソコンを、お渡ししていこう”と思ったのが、BTOパソコンをつくりだした経緯というように聞いています。

宮野 当初はどのあたりで販売されていたんですか?

小松 基本的に、創業の地の春日部と、日本のパソコンの中心地、秋葉原です。