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渡辺由美子の「誰がためにアニメは生まれる」 第30回

たとえアニメといえども、現実と無縁ではいられない

2013年03月17日 12時00分更新

文● 渡辺由美子(@watanabe_yumiko

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アニメも社会や現実(リアル)とリンクしている

―― 私自身は、花が苦労している中にもキラキラした素敵な世界が見えるというところに共感しました。「日常の暮らしの中にも素敵な世界がある」がテーマだと思っていました。

それが、あなた(筆者)が見いだしたテーマなんだと思います。

映画では、花というひとりの女性の人生十年くらいの出来事を淡々と描いているだけなんですね。あの映画の画期的なところのひとつは、テーマが映画の中にあるんじゃなくて、見ている自身の中にあるっていうことじゃないですか?

この映画で何が見えたかを語ろうとすると、その当人自身の境遇や人生観を語ることになったりする。僕の友人にも、「この映画でどんな感想を持ったかは、自分自身の悩みに向き合うことになるから、他人に容易に話せない」と言ってくれた人もいました。


―― そう考えると「おおかみこども」は、舞台設定が私たちが暮らす現実世界と近いだけでなく、人が生きている上で感じる実感のようなものに近いのでしょうか。

そう思います。僕は、細田さんの作品には、必ず「リアル」が入っているところがとても好きなんですね。アニメーションの作り方はいろいろあるけど、細田さんが作る作品は、何かしら僕たちが実際に暮らしている日常や社会とリンクしている。


―― 「おおかみこども」にもそうした「リアル」が入っていると。

なんというか「人の日々の営み」にちゃんと関心がある。人生の転機にあたるような、女性との出会いとか、結婚、出産、最終的に老いて死んでいくところまで、人の営みすべてに関心がちゃんとある。何でもないような日常にこそ奇跡がありドラマもある、そういう視点でできている映画だと思います。

ここからは僕の思いなんですけど、こうした日常をアニメーションで描くことは、すごく大事だなと思うんです。人は、人生の営みから離れて生きていけるはずはない。どうしたって今の世界で生きていかざるを得ない。だから、アニメーションも、夢を夢として見せるだけじゃなくて、何かしら「リアル」と結びついていてほしいというふうに僕は思いますね。


―― 架空のことを描くアニメーションであっても、「リアル」さと結びつくものが良いと?

僕の場合はそうですね。そういう思いは、僕が「アニメージュ」編集者だった時代に、編集長だった鈴木敏夫さん(現・スタジオジブリ プロデューサー)のやり方を見ていたことも影響していると思います。鈴木さんは、アニメを特集するにしても独自の視点があって、アニメというファンタジーを提供する雑誌に対して、あえてファンタジーではない、読者がリアルに感じられる身近な問題を転写していった。ある種の社会的な視点を持ち込んだんだと思います。

たとえば、宮崎勤事件。あれによって大きくアニメファンというものが傷つけられる一連の事件が起こったわけですが、それに対して鈴木さんは真正面から向き合って、巻頭特集をやったりもしました。

たとえアニメといえども、現実と無縁ではいられない。現実と常にコミットしていく。夢を語るのも、夢を夢として夢の領域だけを語るのではなく、「自分たちが生きている世界のなかでどうあるべきか」を考える。そんな方向性ですね。

アニメーションの楽しみ方は本当に多種多様なんですけど、僕はファンタジーの中にもリアルがあるような、人間が社会の中で葛藤したり頑張ったりしているような作品が好きなんですね。僕が、おおかみとしてリスク覚悟で才能を活かして生きていく雨と、社会に懸命になじもうとする雪の、その両方に共感するのは、その揺らぎが自分の人生と重なるからだと思います。

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