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四本淑三の「ミュージック・ギークス!」 第111回

GINGAレーベル主宰者インタビュー後編

シーンに挑戦するGINGAレーベルの音楽づくりにせまる

2012年12月29日 12時00分更新

文● 四本淑三

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ヒッキーの曲に出会ったときの衝撃と衝動が、このレーベルを始めた理由

―― ヒッキーのアルバム制作にあたって、曽根原さんがされたことはなんですか?

曽根原 アルバムをリリースしようという説得でした。まず、レーベルを作って、でもヒッキーは秋田で遠いからすぐに会いには行けない。じゃあ、Skypeで、チャットで、ということになるんですが、常に「売れないですよ」としか言わないし。

―― たぶん曽根原さん以外は皆、そういう風に言うと思います。

曽根原 えっ……。でも、ヒッキーの曲に出会ったときの衝撃と衝動が、このレーベルを始めた理由なんです。この作品のリリースが1つの目標であり、起点になると。もちろん、一応は企業なので数は重要だし、ヒッキーのためにもいっぱい売らなければならない。でも、万人に受けるとは思いません。オリコンを追っかけている人が聴いても、耳をそむけてしまうだろうし。だけど、純粋な音楽好き、電子音楽好き、サブカル好き、そういった人たちの中で、まだ知らない人が沢山いるだろうと。必要としているであろうリスナーが、まだこの音楽を知らないだけだと。

―― でも商売としてのうまみはないですよ。

曽根原  そういう話はヒッキーもひたすらしていて。「なんで俺なんですか」とか。何でって、理由なんかないですよね。出したいから。超カッコイイと思うから。そう言っても「その話は頭の隅っこにおいておきますよ」くらいの雰囲気で。

―― 本人も「なんで僕のCDが一般流通?」って何度も言っていましたからね。そこをどうやって説得したんですか?

Image from Amazon.co.jp
※1 GINGAレーベル第一弾のアルバム『0001:a galaxy odyssey』に、ヒッキーP名義で『お前らポストロッカー』が収録されている。

曽根原 とりあえず最初のコンピに一曲参加してもらったんです※1。そのときに、二人で聴き専ラジオ※2に出たんです。レーベルを作った動機としてヒッキーのアルバムを作りたい。でも、いきなり出したらまったく売れないと思う。それを補うためのコンピであるしと。そしたら「そうだったんですか!」みたいなことを。だからそうだって前から言ってるじゃん何回も! って。つい最近言われたんですけど「あのときは感動したんです」って。

※2 95回放送。2011年8月27日

―― じゃあ、それで急に振れたのかな。

曽根原 その2ヵ月後くらいにヒッキーの家に行ったんですよ。そのタイミングでは、まだ俺はヒッキーを説得するつもりだったんですけど、行ったらヒッキーはもう「やりましょう」と。なんでか説得できていました。で、「時間をくれ」って言われて。それで最初の曲ができるまでに、5ヵ月くらい音信不通になりました。

―― 1年間、のたうちまわりながら、就活もせずに、という話は聞いています。

曽根原 だから5ヵ月間不安でしたもん。電話しても出ないし、メールしても返事が来ないし、Twitterもほぼいなかったんですが、ある日Skypeがログインになって、いきなりファイルがボボボンと送られてきて。「渾身の曲ができました。このために命を削っていました」と。それで聴いてみたら、今までのヒッキーぽいと言えばぽいけど、ぶつけてるというより曲を作ったという感じで、これは何とかなるなと。

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