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ThinkPadの父・内藤在正氏に聞く、“これまでのThinkPad”と“これからの20年”第1回

ThinkPadはなぜ日本で作られたのか(前編)

2012年12月22日 12時00分更新

文● ASCII.jp編集部、写真・構成●小林 久

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ThinkPad 700C開発の第一のテーマは
カラーTFT液晶を載せることだった

遠藤 「お話を総合すると、まず最初にデザインコンセプトがボーンと決まった。そして、それに合った名前を選んだという流れですね」

内藤 「そうですね。もうすべてが初めてで。APTO(アジア・パシフィック・テクニカル・オペレーション)、これは当時の大和研究所、というか日本アイ・ビー・エムの技術部門の名称だったんですけれども、そこにノートブックコンピュータにつながる要素技術、液晶パネルやハードディスク、ローパワーの半導体の開発部隊が集められた。そしてこれらを応用し、最終的な製品を作る部隊が大和研究所の中に発足したのです」

遠藤 「初代ThinkPad 700Cの開発が始まるわけですね」

内藤 「当時はディスプレー部隊が、最初のTFTの量産に入るというタイミングで、10.4インチが一番大きなガラスでした。ある時、そのガラスだけを取締役のマホード・ルブニーが持ってきて、A4サイズの紙にポンと重ねた。『ガラスの方が全然小さいね』と。つまりこのサイズでやりなさいってっていう意味です。 

 そのころのTFTは周り(駆動回路などが入った額縁部分)が大きくて、モジュールとして考えたら、絶対に入れらないことは彼も分かっていた。でもガラス自体はこの大きさなんだから入らないことないだろうって。

 つまりThinkPad 700Cの最初のお題は、A4のフットプリントにカラーTFTを入れなさいというものだったんですね」

ThinkPad 760CD。12型SVGAパネル搭載。液晶を開くと自動的に後部が傾斜する「チルト・アップキーボード」を搭載していた

遠藤 「なるほど。それはA4ファイルとかいうものではなく、ジャストA4サイズってことですよね」

内藤 「もちろんそうです。だから初期のThinkPad──ThinkPad 760に12インチパネルを入れるまでの1995~6年ごろまで──は全部ピッタリA4サイズなんです」

遠藤 「確かにそうだ!」

内藤 「その後はフットプリントには目をつぶる代わりに、薄さを取ろうという方向に狙いが変わっていきましたが……」

中編へ続く

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