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スピード感が刺激、多様な人材とグローバルな文化には驚き

モノ作りにこだわり、サポートの向上も図る──レノボ渡辺社長

2012年10月14日 09時00分更新

文● ASCII.jp編集部

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── そして、一番最初のコンセプトが決まる現場に立ち会われたわけですよね。

渡辺 「私はあくまでも1エンジニアという立場で参加していただけなので、詳しい部分は分からないのですが、ひとつ言えるのは、実はThinkPadが1992年に登場する以前に、2機種ほど製品がありまして、当時の思い出話を語ることになると、私も内藤も、当時からいるエンジニアもL40という機種について触れると思うんですね。

 日本では1991年に出した白いクラムシェルのマシンと、そのあとに出したN51というまだモノクロの画面だったのですが、初めて筺体が黒くなった製品があります。そのあと1992年に出てきたのが初めてのカラーノートのThinkPad 700Cです。

 コードネームで言えば、アロハとオレンジ。ここに思い入れが強いというのは、最初のノートブックを作るという生みの苦しみがあったからなんですね。小さな筺体の中に、PCのすべてのコンポーネントを詰め込むという格闘を2世代やって、完成形として出せたのがThinkPadだった。

 製品コンセプトとしてもそうだし、マーケティングコンセプトとしてもThinkPadというブランド名にして、そこでひとつのコンセプトが完成したという感じなんですよね。それ以前は日本はPS/55 Note、日本以外はPS/2 Noteと言ってたんですけれども」

── 20年前にノートパソコンの黎明期を体験されたときの思い出について、何かエピソードなどないでしょうか?

渡辺 「エンジニアにとっては一番面白い時代でしたね。みんな何日寝なくても目を爛々と輝かせていたし、疲れ知らずでした。寝袋で泊って、(これは私なんですが)除夜の鐘を聞いたりとか、クリスマスパーティーのケーキもうら若き乙女が実験室でみんなと食べるとか」

── すごく楽しくて充実していたんですよね。

渡辺 「エピソードという意味では、ThinkPadより前の機種になるんですが、グローバルのプロジェクトだったので、毎日会議をやるんですね。開発も出口が近付いたころ、内藤の誕生日がやってきて、電話で世界中が一緒になってハッピー・バースデイ・トゥー・ユーを歌ったんですね。内藤は泣いてたんじゃないかな。世界中が1つのチームになってプロジェクトを進めているとすごく感じた瞬間でしたね。ラーレイと日本とフロリダのボカラトンというところをつないで」

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