故郷の厦門に会社を設立し錦を飾る!
上海でのプロジェクトグループが解散した後、陳氏は営業部門のサポートにまわる。NTTと取引のある企業が中国進出する際に中国国内の電話回線を申請するが、その申請代行や中国の取引先とのアテンドなどが業務の中心となった。ところが2000年にNTT関西を辞めることとなる。
陳:会社での将来が見えてくると、おもしろくなくなるんです。だから辞めました。それと1999年に「iモード」がスタートしたじゃないですか。これを見て「これからはモバイル通信がおもしろい」と思ったわけです。だからもう転職先は明確で、コンテンツプロバイダーしか選択肢になかった。当時はインテックスとサイバードの2社が勢いがありましたが、どちらも面接を受けて合格したんです。正直、NTT関西にいたというのが大きかったですね。
インデックスとサイバード、どちらもiモード向けのコンテンツを事業としていた企業であるが、当時はサイバードの方が企業規模が大きく上場もはたしていた。しかし陳氏はインデックスを選択した。
陳:当時はサイバードのほうが規模が大きかった。面接で「サイバードさんは何か中国戦略ってありますか?」と聞いたら、「入ってから一緒に考えていきましょう」と言われたんですね。でもインデックスは違いました。「台湾に会社を作りたい。もう案件はあるけど人がいない」と言われました。目の前に仕事があるからインデックスを選びました。面接官は、現在代表取締役社長(当時は副社長)の小川善美さんです。とても優しい、良い感じの話し方をされる人です。
インデックスは1995年に設立。まだまだ小さな規模で、陳氏が入社した当時は20人弱しかいなかったという。
陳:入社した直後の2、3ヵ月はユーザーサポートとか、企画会議とかいろいろなことをしました。携帯を使った香水の販売もしましたね。香水って儲かるんですよ。お客さんからオーダーがきたら、ファックスで化粧品会社とかに送るんですね。月に多いときには5000万円ほど売れたりします。
で、一通りコンテンツとサービスとかを理解したときに、占いコンテンツ「恋愛の神様」が始まったわけです。最初はね、このコンテンツは1ヵ月の売り上げが4800円(笑)。当然赤字だから、アメリカからDVDを輸入して販売して、コンテンツ制作の資金に充てたりしていました。そのうちにドンドンとコンテンツが当たり出して、儲けが大きくなっていきました。
企業が着実に成長をしていく姿を見て、陳氏もやりがいを感じたようだ。
陳:会社の女の子は皆元気でしたね。徹夜とか多かったのですけど一生懸命に働いていました。女性向けのコンテンツの配信は夜が多いわけですよ。土日とか深夜0時をアクセスのピークにするために22時半ごろに情報を変える。要するに日本の女の子は寝る前に情報のチェックするんですね。例えば「明日の運勢」とかです。で、やっているとユーザーから反響がくるわけです。「ありがとう」とか「あの内容が良かった」とかさいろいろな感想が。それが励みになって、当時は20名ちょっとの人数だったけれど、みんな生き生きと働いていましたね。
入社から数ヵ月経った2000年の終わり頃、台湾にインデックスの台北事務所を立ち上げるプロジェクトが開始される。当時のインデックスはまだ小規模なベンチャー企業で、資本金も3000万円ほど。台北事務所設立には日本の企業のほか、台湾セルラー、ヒュンダイなどが出資し、1億円近い資本金が集まった。そこで提供されたのは、日本でiモード向けに配信されていた「恋愛の神様」の台湾セルラー向けコンテンツ「恋愛神仙」だ。2001年、続いて陳氏は故郷の厦門にインデックスの厦門支社を立ち上げ、そこのCOO(最高執行責任者)に就くこととなる。
陳:最初はほかの企業と同じように、北京とか深センに会社を作るつもりだったのですけど、熱心に厦門市が誘致するので厦門に支社を作ることになりました。税制面での優遇も大変魅力的でした。故郷に帰って、そこに会社を作るのが私の夢でしたから嬉しかったですね。厦門の支社は開発拠点で、最初は30人くらいで、最後には100人くらいになりました。そこでは日本向けの着メロや、簡単なゲームを作っていました。
2002年になり、今度は北京にインデックスの支社を立ち上げることとなる。中国での営業拠点となる重要な支社だ。
陳:営業とかを一生懸命にやりましたよ。チャイナモバイルとか対キャリアの交渉が多かったですね。ディズニーのモバイルで使用する版権をとって、中国でサービスを始めたのもこの頃です。でもね、ティズニーの版権は全然儲かりませんでした。独占権を取ったんですけど、その分もの凄くお金を払ったので。
あとね北京ではちゃんとディズニーの版権管理、著作権管理ができていたのですが、地方で勝手に海賊版を出すところがありましてね。北京と地方とでは意識が全然違うんですよ。北京から雲南省とか遠いでしょう。そこで海賊版を扱っているのは分かっているけれど、取締りに行けないんですね。裁判を起こしても相手は会社を潰して逃げてしまって、ペイできないわけです。
中国出身の陳氏も、中国での著作権遵守の意識の低さには閉口したというのは、なかなか皮肉なことである。
その後2005年のインデックス退社まで、中国最大のコンテンツプロバイダー「WAM CHINA」の買収など、大型案件を次々とこなしていくこととなる。
この連載の記事
-
第1回
トピックス
日本のコンテンツが中国人の日本像を変え、知日家を生んだ - この連載の一覧へ