1983年生まれの「G-SHOCK」
異端児として淡々と成長してきた30年間
そんな中、ずっと変わらず若者を相手に販売を続けていたのがG-SHOCKだ。G-SHOCKの戦場は国内だけでない。世界100ヵ国で優に6000万台を売り上げてきた。
「『タフであること』を愚直に続けてきた」(カシオ 時計戦略部部長 田中徹氏)
G-SHOCKは1983年に生まれ、2013年に30周年を迎える。宝飾品のような高級品だった腕時計市場で、「落としても平気」という特徴を持った、業界の異端児だった。ヒット商品になったのはまさに90年代、ナイキのスニーカーなどとともに愛される存在となった。
競合他社が国内の「腕時計市場」でしのぎを削る中、カシオは淡々とG-SHOCKの世界観を更新しつづけてきた。その頑丈さ・丈夫さは北米を中心に評価され、世界中に市場を広めた。最近では英国空軍とのコラボレーションモデルも作っている。
これまでの20年間、無線機能を搭載しなかった理由も、「ケータイとつなぐのは非常識」「腕時計とケータイは別物」という意識からではない。じつに単純で、「技術的な課題が解決できなかったから」だ。無線のユニットは大きく、重かったのだ。
「腕時計の本来の使い勝手を、決してくずしてはならない」(カシオ 取締役時計事業部長 増田裕一氏)
解決のきっかけになったのは規格の進化だ。Bluetooth 4.0から、スマートフォン側が低電力版の「Bluetooth Low Energy」を扱えるようになった。これで腕時計側は軽量なまま、通信ができるようになった。そのタイミングでようやく、今回のモデルを作りあげた。
「両者をうまくつなぐことで、不便さを解消しながら、新たな便利さを作りあげていきたい」(増田氏)
つねにわが道を行くG-SHOCK
新たな春の時代を迎えられるか
G-SHOCKは、国内市場の価値感とはちがう、独特の感性で変化をつづけてきた。
そのブランド作りを象徴しているのが、ストリートスポーツ系のイベントだ。ダンスやBMX、スケートボード。日本の「REAL TOUGHNESS」をはじめ、世界中で大会を主催している。今年は北米を皮切りに、「SHOCK THE WORLD」というツアーを展開するという。
そうしたイメージ展開は、いわゆる広告やプロモーションと異なり、数字での反響がつかみづらいものだ。イベントは他社にまかせず自社で運営しているため、人件費もバカにならない。それでもG-SHOCKはわが道を進み、独自のイメージを作りつづけた。
ブランドとは時代の記憶のようなものだ。
そのブランドを展開していくということは、若者たちとともに時代を遊び、作っていくような意味でもある。思えば、発表会をライブイベントにしてしまったアップルコンピューターや、ニコニコ動画のドワンゴも同じこと(ニコニコ超会議)をしてきている。
初め「iPhoneとつながる」と聞いたときは、「変なことするなあ、大丈夫なの?」と思ってしまったが、今も昔も、G-SHOCKはそういう変で面白いことを続けてきたのだろう。
近年アジア勢の攻勢を受け、国内メーカーの足取りはだんだんと重くなり、無茶もしづらくなってきた。その中で、G-SHOCKはあくまで自分の信じる手を進め、変化しつづけている。日本経済が冬の時代を迎える中、G-SHOCKは新たな春を迎えられるだろうか。