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Winnyの金子氏が夢見る次世代高速ネットの世界

2012年08月07日 12時00分更新

文● 美和正臣

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社員第一号は裁判を傍聴していたブロガー!

――最初は会社は何人で始めたのでしょうか? 

明石:金子さん含めて4人が創業メンバーです。

金子:今の会社の面子からいうと、創業時にいたメンバーは私1人になっちゃいましたね。

――それはドリームボートの時ですね?

金子:そうです。私とWinny弁護団の方が役員として混じっていたんですよ。そもそもこの会社も、Winny事件がきっかけになってできたんです。

明石:2004年に裁判になって、そのあと支援者が集まってきました。こんな不当な裁判で日本の技術開発を停滞させてどうするんだと。

――なるほど。あの裁判で日本のP2Pって何年遅れたのでしょうかね。

明石:P2Pだけじゃなくて、今、金子さんがちょっとやってますけど、検索エンジンだとかもそうですよね。ダウンロード法とかいろいろ言われてますけど、キャッシュという、もう当たり前のように世の中に普及してた技術が、これからどうなるのだという。

金子:私の方は逆に守りに入ってましたから。裁判に勝つことが一番重要だろうということになったので、完全にそれに特化してしまいましたからね。

――個人的には10年くらいのロスはあったような気がするんですよね。

明石:私はよく言うのですが、2004年当時はまだYahoo!の方がGoogleより強かったくらいで、Googleはどちらかというと技術がとがっていて、ビジネスモデル的にはまだまだと言われてました。一方でアマゾンは在庫を抱えるモデルだったので永遠に黒字化しないだろうって言われていましたよね。そういう中で2007年からGoogleのシュミットCEOが「これからエンタープライズの部分でイノベーションは起きない。コンシューマーの分野でコンシューマーを巻き込んでやっていく。新しい技術を作って行くんだ」と明確に言って、そこからクラウドって概念が急速に広まるわけです。でも金子さんは2002~2004年に日本でそれをやっちゃった方なんですね。1人でユーザー100万人規模を巻き込んで。そういう意味で私はコンシューマライゼーションの申し子と呼んでいるのですが、あの事件がすべてを止めてしまいました。日本の中にもそういう芽ってたくさんあったし、そういう人たちとアメリカのようにできなくとも、ある種の投資家が結びついて、1つの産業なりを起こしていくってタイミングだったと思うんです。でも、あの事件である意味そこに冷や水を浴びせかけられた。その中で当社は「それじゃあ、いかんだろう!」ってことで立ち上げたわけです。いろいろ世間の逆風も吹きましたけど。

金子:弁護士の壇さんは技術が好きな方だから、京都府警の留置所のプラスチックの板越しに「Winnyって、あれ、特定のファイルを止めたりできるんですかね?」っていう話をしだして、「やればできるんじゃないですか?」ってことを言ってたんですよ。拘置所を出たあとに壇さんから「そう言えば、Winnyの技術を使った会社をやらない?」って話になって、会社を作って、SkeedCastの1を作ったわけです。発想はあったんで「まずは作ってみようよ」と会社そのものが始まったんです。それが2005年4月です。

――それが4人だったわけですね。

明石:立ち上げは役員3人で、金子さんが技術顧問になって技術提供して。その前に準備期間は半年くらいかけました。

――Skeedという社名になったのは?

明石:2011の4月ですね。社名が変わったんです。

金子:「ドリームボート」期ってのがあって、そのあとに「Skeed」期があるわけですよ。Skeedは現社長になってからですので、結構様変わりしました。立ち上げた段階って、技術部も私1人しかいない状態でした。現在の技術メンバーのほとんどが、ドリームボート時代に入ってきた人です。それで技術部門がかなり大きくなって、今のSkeedにつながるわけです。

明石:2010年に経営陣が設立メンバーから、私も含めて途中から加わってきたメンバーに切り替わったわけです。その中で社名の変更もありました。ドリームボート時代は技術をコアにしているのですが、動画の配信だったり、そのサービス事業をいかに立ち上げていくかというところで苦労しました。Skeedになってからは、技術というものをコアにして世の中のインフラの裏側に入りこんでいくような製品、ソリューションを生み出していく形になりました。われわれ自身が何か垂直にサービスをやるって、なかなか日本だと大変ですから。

金子:立ちあげたときって、まだiTunes Storeがない時代でしたからね(笑)。

明石:もちろん戦略の方向性としては垂直でのサービス提供もあるのですが、会社としての体力であったり、資金力が相当要求されるので、今回のデータホテルさんのようにサービスとか運用能力があるところと組んだほうがいいという結論になったわけです。運用とかサービスを提供していくときには外と組むって戦略に切り替えていったのが2010年からですね。

金子:テクノロジーの会社として完全に特化したわけですよ。

Winny開発当時、金子さんが書きこんでいた2ちゃんねる「ダウンロード板」。2ちゃんねるでは「47氏」と呼ばれていた

――さっき世間の逆風もあったとおっしゃっていましたが。

明石:スタートした時は、P2Pというだけで、日本ではすごく逆風がありましたね。

金子:立ちあげた直後くらいに、例の漏洩問題(2004年3月頃からWinnyを介してワーム感染が広まり、ネット上に個人データが流出した問題)が起きて、私も取材を受けてましたから。そういう意味では本当に逆風でした。

――メーカーに売り込んでいったときに、「P2P? ええーっ?」みたいなことは言われちゃったんですか。

明石:どちらかと言うと技術に対して深い理解をお持ちの方は、P2Pそのものの良さとか可能性とかを良くわかっていらっしゃるので、むしろ「何とか活かしたい!」というお客様が多かったですね。だからこそわれわれは、そういうところの裏側に入り込んでいくことができました。技術力ある先進的なお客様がわれわれを活かしてくれるようなご提案をくださったわけです。

金子:当初はギリギリのところで、何か鶴の一声で落とされてしまう感じの話が多かったのですよ。技術部門からは評価されているのだけど「P2Pだしね」みたいな感じでなりがちでしたね。

――最初に契約した瞬間はどうでした? そこのことで覚えていることはありますか?

金子:やはりABC(朝日放送)さんかな。ここが大変でした。製品自体は汎用で作ったつもりだけど、各ベンダーさんごとにチューニングっていうのがどうしても要るんですね。このあたりは私の初期設計が甘かっただけなんですけど、この作業が大変でした。ECとか各社連動するところをカスタマイズしていって……。

明石:垂直モデルでサービス提供しようとすると、われわれはデータを効率よく配っていくのは得意で、そこに関しては何も問題はありませんでした。結局お客さんの要望に全部応じるには、課金だったりデジタル認証だったり、世の中にあるものの組み合わせが必要なのですが、それも自分たちでやっていくとなるとコアじゃない部分で時間を取られていってしまう。結構もがき苦しむっていうのが多かったので、あまり垂直に広げていくよりは得意なところに集中していったほうがいいという展開に変更したわけです。だから最初は仕事を取れた時はうれしいのですけど、取ってからが大変でしたね。SilverBulletのほうが、α版とかプロトタイプのときに、困っているゲーム業界のお客さんから「できてなくていいから持ってこい」といわれていましたから(笑)。

金子:彼ら、本当に困ってるんですよ。

明石:SilverBulletは製品評価をしていただいて、バグ出しも一緒にやっていただいて、商品を介して売り出していこうという話になりました。ローンチカスタマーって言うんですけど、最初のユーザーさんに「まだこういう状態なんですけど……」と一緒に製品を味見してもらって、「こうすれば、よくなるんじゃないか」って試行錯誤しながらやりました。

――4人から始まった会社ですが、現在何人くらいいらっしゃるのですか?

明石:メンバーは全部で20名くらいです。

金子:エンジニアが半分くらいですね。

明石:本当にガリガリ書いているのが、金子さんを入れて7、8人くらいですね。深いレイヤーの技術力が必要なので、そういう人を集めてくるんです。

――でも、そういう専門職の人を集めるのが一番大変なところですよね。

明石:まあ、そうですよね。金子さんがいるので、そういう人が徐々に集まってきます。

――そういう技術者というのは、金子さんが「ちょっと来いやぁ」って感じで声をかけるんですか?

明石:むしろ金子さんが「会ってみたい」という話をしてきて、別れた後に「この人いいからちょっと口説いてね」って話になるんですよ。

金子:会社を立ち上げた時点で、弁護士の壇さんが技術者を連れてきたりしました。社員第1号の人は実は私の裁判を見に来ていた人なんです。ブログもやっていて、技術者だから、技術的なことを書いてるんですよ。それで壇さんがそのブログを見つけて「なんか事件に関して書いているぞ」と読んでみたら思いの外よくわかっていて「ちょっと来いや」と(笑)。当初はそんな感じで集めていました。

――すごいヘッドハントの仕方ですね。

明石:その彼は金子さんと一緒で、小学校の時からプログラムを書いていたっていう経歴を持っています。

金子:やってることは変わらないんです。私も小学校の頃からプログラムをやってますけど、歳が違うだけで。やってることはみなさん変わらないんです。

明石:まだ20代ですから、金子さんとひと回り以上違います。

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