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四本淑三の「ミュージック・ギークス!」 第99回

日本のネットシーンに天才現る――M.Kitasonoの衝撃

2012年07月07日 12時00分更新

文● 四本淑三

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奨学金をもらうもバークリーに行かず

ヤサシイオモチ(プログレ) by M.Kitasono

―― 音源を上げる以前はどうされていたかを教えてください。

M.Kitasono 専門学校にいたんですけど、そこでコントラバスを習っていました。在学中からジャズベーシストとして、卒業後もその活動で食べていけたらと思って、しばらくミュージシャンとしての活動とアルバイトの生活を続けていました。それから留学の話も決まったりして。アメリカの音楽の学校なんですが。

―― もしやバークリーでは?

M.Kitasono あ、そうですね。それで奨学金を頂いたんですけど、行かなかったんです。

―― なんでまた。

M.Kitasono 音楽をやりたくなかったんです、そのときは。そのころ私は70年代のジャズに傾倒していたんですけど、周囲のミュージジャンはビバップとか、そっちの世代だったんです。いつも40代前後の方と共演していたんですが、そういう方から「君のプレイは70年代過ぎる」と、奏法に関しても音質に関しても。そういうこともあって、私のやりたいことはできないかもしれないなと思ったんです。

―― でも学校に行けば違ったかもしれないですよ。

M.Kitasono けど、もう音楽をやりたくないという状況でした。今考えるととても不思議なんですけど、すべて投げ出してしまいたい気分だったかもしれない。僕はそんなに暗い人間ではないので、そこまで深刻ではないんですけど。見ている世界が狭かったんですね。


60年代、70年代の音が心地良い

Dorothy (70's AOR Pop) by M.Kitasono

―― それにしてもKitasonoさんの年齢で、プレイする音が70年代って面白いですよね。

M.Kitasono ルーツは60年代、70年代に集中しているので。そういうものが非常に心地良いというか、自分の幼少期を思い浮かべる材料になっている。ちょっと変な答えですが。

―― インターネット時代になって時間が圧縮されたとはいえ、どうしてそうなっちゃったんですか?

M.Kitasono 母親がビートルズのアルバムを3枚くらい。すべてベスト盤なんですけど。あとはオールディーズのコンピレーションを1枚。すべてはそれを聴いてからでしたね。小学生の頃ですが。

―― Kitasonoさんが小学生の頃というと、日本ではCDバブルの絶頂期で、ラジオ・テレビからは似たような音楽が繰り返し流れていたはずですが、そういう音楽に影響はされませんでした?

M.Kitasono あえて聴かないスタンスでした。

―― 楽器はいつ始めたんですか?

M.Kitasono 小学校1年生の時に引っ越した中古住宅にエレクトーンがあったので。それをこだわりなく弾いていました。それで中学に入ってからでしたね。まずベースを1人で弾き始めるという活動を。

Image from Amazon.co.jp
ミュージック・イズ・マイ・サンクチュアリ(聖域)

―― 最初はバンドなんですか?

M.Kitasono 多重録音が最初で、小学生の頃にちょっとMIDIを。フレーズを貼り付けると誰でも曲が作れるっていう、ローランドのDoReMiXというソフトで。元ネタにはものすごくマニアックなものも含まれていたんです。たとえばゲイリー・バーツの「ミュージック・イズ・マイ・サンクチュアリ」というアルバムの、「スイング・シング」という曲の冒頭で、彼がサックスでとったソロやフレーズとか。もちろんその時は分からなかったんですが。

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