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コンプガチャ規制についての考察 第3回

ユーザの顔色ではなく、政府の顔色を伺う企業はやがては衰退する

ソーシャルゲームを肯定し、楽しむガラケーユーザの声は?

2012年07月03日 09時00分更新

文● 田中辰雄

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(5)提案

 最後に関係者への提案を書いて終えたいと思う。関係者として消費庁、ソーシャルゲーム各社、そしてジャーナリストの方を取り上げる。

 消費者庁に対しては、規制の再考と、詳しい調査を提案したい。本稿で述べたように数百万人のソーシャルゲームユーザはコンプガチャ規制で不利益を被る可能性が高い。消費者庁は消費者の利益を守ることが仕事であり、消費者の利益に反することを行なうのが仕事ではないはずである。

 コンプガチャは社会問題を引き起こしたというのが規制の理由なら、その社会問題の実態の調査が必要である。そもそもユーザは確率を誤認していたのかどうか。コンプガチャでどのような実害が生じているのか。ユーザは何に不満を感じているのか。

 コンプガチャについての実態は実はほとんど知られていない。携帯電話を使ったアンケート会社を使えば低予算でこのような客観的な調査はすぐにでも可能である。調査なしにいきなり禁止を決めたのはあまりに乱暴であった。

 またコンプガチャについて法学者だけでなく、経済学者、統計学者も含めた研究会を作ることも有用であろう。絵合わせ禁止の措置は30年以上前の子供向けのお菓子のときに作られた条項であり、状況はあまりに異なっている。新しい状況に備えるため、各種専門家を交えた検討会を開いてはどうだろうか。仮に問題があるとしても対策として禁止以外の方法も考えられる。費用対効果を考えて最も合理的な政策を動員すべきである。

 ソーシャルゲーム各社には、まず、自らのビジネスモデルを説明する努力を提案したい。コンプガチャ規制問題で、ソーシャルゲームの味方がほとんどいなかったのは、ソーシャルゲームのビジネスモデルがよく理解されていなかったことが大きな理由である。日米摩擦のときに、日本が自らのビジネスの論理を説明しなかったことが摩擦の背景にあったことが思い起こされる。

 ユーザが何に満足を感じているか、なぜ高課金者はコンプガチャにお金を払うのか、これらの問いにソーシャルゲーム各社として答える必要がある。残念ながら、ソーシャルゲーム各社はこれまで自分たちのビジネスモデルの説明に熱心であったとは思えない。その点ではお金儲けばかり考えているという批判は一理あったのかもしれない。

 次に問題のコンプガチャについてであるが、報道によればソーシャルゲーム各社は消費者庁の規制を受け入れ、コンプガチャは取りやめる方向であるという。しかし、これは企業として賢明な判断なのだろうか。なるほど、行政側からの攻撃はこれで当面は回避できる。

 しかし、コンプガチャを廃止すれば、9割を占める無課金・軽課金ユーザの負担が増え、市場は縮小し結果としてはユーザの不利益になる(前回参照)。今回のソーシャルゲーム各社の行動は、ユーザに不利益を与えてもよいから、行政との関係を悪化させない策を取ったと解釈できる。

 だが、企業が守るべきは何よりユーザの利益ではないだろうか。ユーザが楽しみ、ユーザの役に立ち、ユーザが支持することをやり続けるのが企業のとるべき道なのであり、もし政府規制がそれを妨げるのなら戦うべきではなかったのか。

 かつて、宅配便を立ち上げたヤマト運輸は、運輸省の規制と戦い続けたが、それを支えたのは現行の規制がどうあれ小口貨物の輸送はユーザの役に立っているという信念であった。

 ソーシャルゲーム各社が自分のビジネスモデルに自信があり、ユーザの利益になっていると思うなら、それを貫くべきではなかったか。あえて書生論を唱えれば、ユーザの顔色ではなく、政府の顔色を伺う企業はやがては衰退する。

 ソーシャルゲーム各社は世界のプラットフォームを目指すという。しかし、世界のプラットフォーム企業は、すべて訴訟の嵐をくぐり抜けてきている。マイクロソフトは独占禁止法絡みで、グーグルは著作権法絡みで、たくさんの訴訟を抱えた。

 世界のプラットフォーム企業は政府とも闘ってきているのであり、もしソーシャルゲーム各社が世界のプラットフォーム企業たらんとするなら、政府の規制や訴訟とも闘う用意が要るのではないだろうか。それが消費者庁の処分(じつは訴訟以前の段階である)くらいで萎えてしまうようではあまりに情けないことである。

 仮に消費者庁の処分が覆らないとしても、確率誤認をしないコンプ形式で再挑戦するなど対応策はある(*11)。

 ジャーナリストの方々にはソーシャルゲームのユーザを取材していただけないかと思う。ソーシャルゲームについての報道は偏っている。ネット上の多くの画面を割いて取り上げられているのは高収益とコンプガチャであり、たまにゲームデザインの特殊性も取り上げられる。

 これらはいずれもソーシャルゲームがいかにこれまでと異なるかという供給側の記述であり、読んでいるとソーシャルゲームは異世界のような感覚に襲われる。しかし、プレイヤーは普通の人であり、普通に楽しんでいるはずである。それなのに、それが見えてこない。ゲームを楽しむ具体的な姿、つまり需要側の記述が極端に少ないのである(*12)。

 こうなっているのは、彼らはPCとインターネットの世界の住人ではないので、ネットで発信する術を持たないからであろう。ネット上にあるソーシャルゲームの体験記は、多くがPCとインターネットの世界の住人が書いたものなので、その内容はいかにソーシャルゲームが奇妙であるかという冷めた記述が多く、代表的とは言い難い。

 もっとソーシャルゲームを大きく肯定し、楽しんでいる人の体験を聞く必要がある。そのような人はPCとインターネットを通じて探しても見つからないだろう。彼らはガラケーの世界に住んでいるのであり、アクセスするには別のチャネルを使う必要がある。

 いまやジャーナリストの多くは情報武装しているので、彼ら自身がPCとインターネットの世界の住人であることが多く、ゆえに身近に見つけることは難しいかもしれない。しかし、そのような人を捜しあてて取材することはジャーナリストの格好の仕事のはずである。具体的なユーザの姿が見えてくることが、二つの世界の溝が埋まる第一歩であろうから。

*11
例えば5種類のカードを5枚集めるのではなく、同じ一種類のカードを5枚集めることにすれば、確率誤認は避けられる。これはコンプガチャというより、コレクトガチャであろう。コレクトガチャに、回す回数の天井を設定すれば、言及されている問題のかなりの部分は解決すると思われる。

*12
比較的ユーザの心理に迫った調査としてはエンターブレイン社の調査(2012年4月)があり、そこではソーシャルゲームを続ける理由として「モノを集めたい」「人とつながりたい」「人に勝ちたい」「癒されたい」などが挙がっている。ただ、アンケート調査なので、具体的な姿を捉えるにはまだ距離がある(参考PDF)。

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