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コンプガチャ規制についての考察 第3回

ユーザの顔色ではなく、政府の顔色を伺う企業はやがては衰退する

ソーシャルゲームを肯定し、楽しむガラケーユーザの声は?

2012年07月03日 09時00分更新

文● 田中辰雄

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(3)個人的体験より

 かくいう私も例外ではない。私もPCとインターネット、そして従来型のテレビゲームに親しんだ人間であり、ソーシャルゲームの隆盛を理解できない人間の一人であった(すでに述べたように周囲にはソーシャルゲームのユーザはおらず、手掛かりはない)。

 やむなく、私は自分でプレイを始めた。以下、個人的体験からの知見を述べることをお許しいただきたい。

 始めてすぐに違和感にさいなまれた。無料と言いながら、少し行動すると体力が尽きて、課金を要求される(1~2時間で自動回復はする)。強いカードを得るためには課金してガチャを回さなければならない。課金、課金ばかりで金を取ることしか考えていないように見える。

 時間をかけて経験を積まなくても課金でお金さえ出せば強くなれるのは、ゲームとして不公正でありズルをしているように見える。ゲームの中身も、戦略性のないカードの出し合いだけであり、面白みはない。

 PC上にオンラインゲームがあるが、それに比べてはるかに劣る内容しかないという印象だった。またソーシャルゲームと言いながら、mixiなどのSNSで体験した種類の人の絡みはない。

 一体どこが面白いのかわからない。10回連続ガチャのボタンがあって、これを押すと一気に3000円飛ぶが、こんなものを押す人の気持ちがわからない。ましてこれを何度も押して何万円も払い、コンプに挑戦するのは正気の沙汰とは思えない。どうして人はこんなものに何万円も払うのか。

 ゲームを始めて1ヵ月後には、違和感はピークに達し、わからない、わからない、と悩みつづけた頭は、論拠抜きに飛躍した結論にとびつこうとする。それは「パチンコ+出会い系」である。

 パチンコも出会い系も儲けられる事業であるが、問題も多いので警察による規制を受けている。ソーシャルゲームはこの二つを兼ね備えていながら警察の規制を受けておらず、やりたい放題できる。それなら儲けて当り前ではないか、と。この時点でゲームを止めていれば、私もソーシャルゲームを批判する人たちの列に加わっていたかもしれない。

 しかし、多くの人が楽しんでいるものをわからないというのは、観察者の想像力不足のためであることがほとんどである。そもそも、社会分析に携わる者として「わからない」で終わることは敗北に等しい。わたしはやり続けた。

 転機はやがて訪れた。2ヵ月、3ヵ月と経つと次第にゲームをプレイしている人の肉声が聞こえ始める。もともとソーシャルゲームは交流がメインであり、友人を作りやすい構造になっている。彼らの声からソーシャルゲームを楽しむ人の気持ちが見えてくる。それは一言でいえば交流の楽しみである。

 交流といっても中身は様々で、単に挨拶をしたり、近況を伝えたりする交流もあれば、ゲームで競い合う楽しみや、助け合う楽しみもある。ゲームでの競い合いはランキングに挑戦したり、難度の高いアイテムを入手したりすることで、うまくいくとそれだけで達成感があるし、その過程を友人に話すのも楽しみのうちである。

 助け合いも大事な要素で、強いボスを倒すために仲間を呼び、集まってきた仲間が一致して倒し、ありがとう、とお礼を言いながらまた別れていく。あるユーザ曰く、「日常生活でこんなに『ありがとう』って言うことってないよね。だからこのゲーム好き」。彼らは、普通にゲームを楽しんでいるのである。

 落ちついて考えてみると、私が感じていた違和感は、従来のテレビゲームやPCオンラインゲームに慣れ過ぎていたためである。

 たとえば、少し行動すると体力が不足して課金を求められるのに違和感があると述べたが、やるたびに課金するのはアーケードゲームなら当たり前である。また、課金がいやなら、そこでプレイを止めて自動回復を待てばよいだけである。実際に、9割以上を占める無課金あるいは軽課金ユーザは合間の時間を使ってプレイしているので、何の問題もない。

 お金を出せば強くなれるのはズルと感じるのも従来のゲームの前提にこだわっているからである。そもそも、ソーシャルゲームでは交流がメインであって、強くなることだけが目的ではない。

 無課金者と高課金者が交換を通じて互恵関係にあることは前回すでに述べた。さらに戦闘においても強者と弱者が互恵的に協力し合えるように設計してあるので、弱者でも強い友人を助けることは可能である(*7)。弱い人も強い人もそれなりに楽しみ方があるので、実際にやってみるとズルという印象は生まれない。

*7
ランキングはボスをどれだけ討伐したかで争われることが多いが、友人に助けを請われて戦闘に参加し倒したボスの数もカウントされる。したがって、弱いプレイヤーでも自分のボス戦にランキング挑戦中の人を呼ぶことで、その人のランキング上昇に貢献することができる。つまり弱い人も強い人もそれなりの存在価値がある。このことは、ゲーム内のギルドがメンバーを募集するとき、強さを条件としていないことからもわかる。

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