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2年連続の女王戴冠なるか? 5年目のミクGTプロジェクト第13回

10年目の栄光! 谷口信輝、苦難のチャンピオンロード

2012年04月14日 12時00分更新

文● 末岡大祐/ASCII.jp編集部 ●写真/加藤智充、編集部

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スーパー耐久、SUPER GTとステップアップ

──レースというのはドリフトとかではなく、サーキットのレースですか?

谷口 そう。2001年からシリーズでレースをやり始めたんです。最初はスーパー耐久のクラスN+のアルテッツァワンメイクでした。RED LINE(オイルメーカー)カラーのクルマで。2002年は同じくスーパー耐久のクラスN+で、織戸クン(織戸 学選手)と組んでADVANアルテッツァに乗ってチャンピオンになり、そして全日本GT選手権(現・SUPER GT)でRE雨宮に乗せてもらいました。パートナーは松本晴彦選手で。

──30歳からとなると、レーシングドライバーとしては遅咲きですよね。周りの人の反応はいかがでしたか?

谷口 咲いてるのかどうかわからないけど(笑)、かなり高齢でスタートしましたよね。いろんな人から「もっと早く上京してたらね」とか言われましたよ。

──GTはRE雨宮さんでデビューだったんですね。スーパー耐久と比べて、レースの違いは感じましたか?

谷口 そうですね。やはりGTのほうがいろんな意味で“大人のレース”という感じがしました。スポンサーだったり、クルマ系のメーカーだったりが集まって、クルマ作りも本格的でピリピリ感が全然違うなと。GTカーのほうが、パワーもコーナリングスピードもあるんですが、スーパー耐久のクラスN+もレーシングカーに近いクルマだったので、最初乗ったときはあまり違和感はなかったかな。でも、GT500クラスの対処方法などで苦労しましたね。あうんのタイミングで抜かせたり抜かせなかったりというのは、経験が必要だと思いましたよ。

SUPER GTが他のレースと違うところは、馬力の違うクラスが混走することだ。スーパー耐久もそうなのだが、GT500とGT300ではマシンの速度差、性能差が大きく、谷口選手をもってしても慣れるまでは戸惑ったという

──SUPER GTに参戦して、2011年にGSRに移籍してくるまで、印象に残っているレースやチームはありますか?

谷口 基本的にはどのシーズンも印象深いですし、全部明確に覚えてますよ。うれしかったこと、辛かったこと、腹が立ったこととかいろいろありましたし。まあでも、悔しいことが一番多いんですけどね(笑)。例えばRE雨宮号(RX-7)って、なぜかセパン(マレーシア)が得意で富士スピードウェイが苦手なんですけど、2003年はSARS(ウィルス)の流行でセパンがなくなって、苦手な富士が3戦に増えてガックリしたとか。

 2004年は坂東(RACING PROJECT BANDOH)に移籍して、青木孝行選手と組んだんですが、これもいろいろありまして。雨宮から坂東へ移籍するって、実はオオゴトなんですよ。ですが、その頃はどうしてもGT500に乗りたかったのでメーカーに直結している坂東を選んだんです。マツダはGT500に出ていませんし。坂東で乗ったセリカは前年度(2003年)は速かったんですが、2004年は無限のNSXとか出てきてそれに山野哲也選手が乗ってるもんだから、段違いに速くて。僕らも速かったんですけどね。

 2005年は加藤寛規選手(現・エヴァ紫電ドライバー)と組んで、再びセリカで挑んだんですが、全然勝負にならなくて。加藤選手と組んでいたのに、1勝もできませんでしたからね、この年は。

 思い出深いという意味では、やっぱり2002年に初参戦してセパンで初優勝したときは格別でしたね。あのどんちゃん騒ぎは今でも忘れませんよ。セリカのときなんか勝つとスポンサーさんが○○万円をポンっとくれたりね。GTで優勝するってことは、それくらいすごいことなんです。

GSRに初優勝をもたらしたセパン戦。ここからミクZ4の快進撃が始まった。実は谷口選手のセパンでの勝率はかなりのもの

──日本の最高峰のレースで優勝するって、なかなかできることじゃないですよね。

谷口 なんだけど、去年(2011年)は3勝もしたらチームが勝つことに慣れちゃって(笑)。だんだんトーンダウンしちゃってたよ! 

──いやいや、そんなことはないですよ、たぶん(笑)。では、2006年以降はいかがでしたか?

谷口 坂東の次(2006年)にディレクシヴっていうチームに移籍したんですけど、チャンピオン候補だったにもかかわらず、シーズン途中でチームがなくなってしまったこともありました。なんとか走らせることはできたんですが、パートナーの密山祥吾選手がクラッシュに巻き込まれたりして、結局チャンピオンの権利はなくなってしまったんですけどね。

 2007年はタイサンに移籍して、山路慎一選手と組んでいたんですが、途中からドミニク・ファーンバッハー選手に替わりました。この年はあまりパッとしない成績で終わっちゃいましたね。2勝したのに。

 2008年もタイサンで山路選手と組んでいたんですが、最終戦だけドミニク選手になって、しかも優勝したんですよ。序盤、結構良い成績でチャンピオン争いをしていたのに、8戦目のオートポリスで、山路選手が4位を走行中、あと2周というところである選手にぶつけられてしまって、リタイヤになったんですよ。4位でゴールしていれば確実にチャンピオンだったのになあ。しかも、同じヨコハマ同士のクラッシュで、さらにチャンピオンをミシュランに持って行かれてしまったという……。

 で、2009年に古巣のRE雨宮に戻って折目 遼選手とタッグを組むことになりました。タイヤ無交換作戦というのをはやらせて、開幕から4戦連続表彰台に上ったんですが、その後は性能調整の雨あられで結果はシリーズ2位……。

今まで乗ったクルマも、所属したチームもすべて覚えているという谷口選手。GTで勝ち続けることの難しさを身をもって知っているだけに、2011年の3勝(+2勝)は奇跡的だと語った

 翌2010年もRE雨宮で折目選手と再び組んだんですが、2009年の最終戦で受けた性能調整がそのまま2010年も適用されるということで、開幕前から性能調整されたんですよ。でも開幕戦で優勝して、さらにセパンでも優勝できた。なのに、シーズン3位。途中でエンジンや駆動系のトラブルが出ちゃってトップを走ってたのにストップとか、最終戦のフォーメーションラップで番場がスピンしたりと(笑)、なかなか苦しいシーズンでした。

──もしかしてRE雨宮さんが撤退したのは、度重なる性能調整のせいですか?

谷口 いや、それはないですよ。いろいろあっての撤退ですが、まあたしかに性能調整をされすぎると萎えますよね。

──なるほど、個人的にロータリーファンなので、非常に残念な撤退でした。

「あとちょっと」がいつも遠かったが、その眼差しは常にその向こう側、チャンピオンを見据えていた

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