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大河原克行が斬る「日本のIT業界」 第32回

外国人社長体制による日本IBMの変革

日本IBMの突然の社長交代にみる真の狙いとは?

2012年04月05日 09時00分更新

文● 大河原克行

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異例となる5月15日就任の理由はなにか?

 実は、業界関係者の間では、2011年12月末にも、日本IBMの社長交代が発表されるのではないかとの憶測が飛び交っていた。

 理由はいくつかある。

 ひとつは、米IBMの成長に比べ、日本IBMでの業績低迷が指摘されており、それに伴い、経営体制の一新が噂されていたからだ。サービス部門のトップに、豊富な経験を持つ人材を獲得したことなども、社長交代への準備が進んでいるとの見方につながっていた。

 2つめには、米国本社では、2012年1月1日からロメッティCEO体制に移行することが事前に発表されており、日本IBMでも、それに伴う新人事の発表があるとみられていたからだ。  そして、3つめには、大歳卓麻氏から橋本孝之氏に、社長のバトンが渡された新社長人事の会見は、仕事納めも終わった2008年12月30日に突如行われた「前科」があったからだ。1月1日から新年度が始まる日本IBMにおいては、橋本社長からの次期社長へのバトンタッチも、これと同じ形で発表される可能性は捨てきれなかった。

 しかし、昨年末に日本IBMの社長人事が発表されなかったことで、ここにきて今回の社長交代は持ち越しになったとの見方が一部では広がっていた。

 日本IBMでは社長の長期政権が一般的だ。橋本社長の在任期間が、まだ3年という短期であったことも、今年は社長交代がないとの見方につながっていた。

 その点では、このタイミングでの社長交代の発表には多くの関係者が驚いた。5月15日の就任というのも異例のタイミングである。しかも、社長に指名されたのが、業界筋の候補には、まったく名前があがっていなかったイェッター氏。これも予想外であった。

 スルガ銀行の基幹システム開発が失敗し、日本IBMへの責任を認める判決が出た翌日の社長交代であったため、その点を指摘する声もあったが、「一日で社長人事は決まらない。100%それはない」と橋本社長は否定。業績の影響についても、「数字がどうこうというよりも、日本のお客様のグローバル化をどうするかといった点での理由が大きい。日本のお客様を第一に考えた結果」とする。

日本IBMの橋本孝之社長

 橋本社長は、「2009年1月に日本IBMの社長に就任して以降、リーマンショックなどの厳しい環境のなかに置かれる一方、スマータープラネットによる新たな社会インフラへの変革に取り組んできた。2010年1月には、世界で初めて社長直轄の形でクラウド専任組織をつくり、世界のIBMのなかでも日本がクラウドをリードしてきた。こうした取り組みが一定の成果をあげ、私自身、第1フェーズが完了したと判断した。ビッグアジェンダへの取り組みを加速する第2フェーズに入るタイミングにおいて、全世界に分散するIBMの経営資源を統合し、お客様に提供する必要がある。お客様の期待に応えるための最大級の準備と体制を整え、第2フェーズに取り組んでいくことになる」と、今回の社長人事の意味を語る。

 筆者は、新社長人事の会見終了後、橋本社長と軽く言葉を交わす機会があった。  「(会見は)年末かと思いましたよ」と筆者が話しかけると、橋本社長は、「IBMはいつ発表があるかわからないから、しっかり準備しておいてよ」と冗談まじりに答えた。

 これまでの約3年間の短い任期については、「物理的には13四半期に渡って社長を務めたが、私の感覚では10年間やったのと同じ。リーマンショック、クラウドの登場、スマータープラネットへの取り組みなどのほか、CIOを対象としたビジネスからCEOを対象にしたビジネスへと大きく変えてきた。これを加速するためには新たな体制がいい。そのためにグローバルで実績を持つ人材を社長に迎えることになる。もっと(社長を)やるということは、会社という感覚でみるとあるのかもしれないが、私自身はやり遂げたと思っている」と語る。

 いずれにしろ、12月末ならまだしも、今回の3月末の社長交代会見は、まさに予想外のものだった。

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