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2年連続の女王戴冠なるか? 5年目のミクGTプロジェクト 第9回

GT開幕前夜! ドライバー人生を変えたGSR入り 番場 琢の決断

2012年03月30日 18時00分更新

文● 末岡大祐/ASCII.jp編集部

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ミクGTには欠かせない存在となった
番場選手がチャンピオンに輝くまで

 初音ミクGTプロジェクト関係者インタビュー第3弾。鈴木代表、大橋監督ときたら次はこの人、番場選手の登場だ。2009年のポッカサマースペシャル(鈴鹿サーキット)で助っ人として初音ミクZ4をドライブ。オートポリス戦からチームに正式加入し、そこからドライバーとしてもチームの顔としても、そのキャラクターで初音ミクGTプロジェクトを牽引してきた。

 そんな番場選手が1年ぶりにAドライバーとして復帰する。その前にこれまでのレース人生を振り返ってもらった。

番場 琢選手。明るくポジティブシンキングなキャラで、ミクGTプロジェクトに加入後、一躍人気者に。とは言っても、もともとフォーミュラトヨタを経験している実力者。2009年のスポット参戦を経て正式にGSR入り。2011年シーズンはエースの谷口信輝選手を支え、悲願のGT300クラスチャンピオンを獲得した。ラリードライバーの番場 彬選手は実弟

周りの反対を押し切り
自分の“縁”を信じてGSR入り

──2009年のポッカサマースペシャル(鈴鹿)で初めて初音ミクZ4に乗りましたが、チームに誘われたきっかけは何だったのでしょう?

番場 琢選手(以下、敬称略) 2007年まではSUPER GTに出ていて、2008年からは韓国にレースの舞台を移しました。韓国でレクリスというチームで1年間乗って、2009年も継続しようと思ってたんですが、チームが諸事情により解散してしまいまして。僕は2009年も韓国でレースをするつもりだったので、どこにも営業をかけていなかったんです。他の人も僕が韓国で走るもんだと思っていたから、オファーもなくて。そのおかげで、2009年は夏くらいまで何も乗るモノがなくなってしまいました。

 そこで、僕がマネージメントをお願いしている会社に、なんとかポッカサマースペシャルで乗れないかと相談しました。実は、うちの会社の社長と田ヶ原選手が交流がありまして、サードドライバーとしてどうかと、社長が打診してくださったんです。ちょうどその頃、ミクZ4も片山エンジニアによって大きくモディファイされたばっかりだったので、この状態で走ってみないかと、星名さん経由でうちの社長に連絡があったんです。僕は乗るマシンもなかったし、「ぜひ!」という感じでチームに加入することになりました。

──ミクチームに加入することになったときの周りの反応はいかがでしたか?

番場 実はこの話をした9割の人からは「絶対にやめろ」と言われました(笑)。それまではテールエンダーだとか嘆願書の常連だとか、あまり良いイメージがなかったもので。そんなチームで乗っても、番場の名を下げるだけだぞ、とも言われましたね。番場が速いのはみんなわかってるから、無理にそういうところで乗る必要はないだろうと。

──それでもチームに加入したんですね。

番場 僕としては、その当時にそういう話が出たのは、何かしらの縁だろうと。痛車のイの字もわからなかったけど、このチームで乗ってみようと、割と前向きな気持ちで決めましたね。

真夏の鈴鹿戦で第3の男として鮮烈なGSRデビューを飾った番場選手

──ミクZ4に初めて乗ったときはどう思いましたか?

番場 鈴鹿で乗ったときに「意外と走るじゃん!」というのがファーストインプレッションですね。直線は速いし、コーナリングも結構攻められるし。それまでは、諸々がうまく噛み合ってなかっただけだと思うんですよ。で、クルマのバージョンアップをしてようやく噛み合うようになってきたのが鈴鹿だったんじゃないかと。良いタイミングで乗れましたよね。予選も初のQ1突破で。Q3に行くにはちょっと厳しかったですけど、片山エンジニアにバシバシ気がついたことを言って、レースウィークにどんどんクルマが良くなっていったんです。

速さは増していたが、残念なトラブルでリタイヤしたミクZ4

──決勝は残念ながらリタイヤで……。

番場 そうですね。アクセルワイヤーが切れちゃって。レーシングカーのトラブルって、ホント予想しえないところで起こるんですよ。ポッカは700kmと走行距離が長いんで、ノートラブルでいけばそこそこの順位ではゴールできてはずなんですよ。クルマも速かったし。残念でしたね。

 実はこのポッカと同時期に、韓国のレースチームからもオファーがあったんです。そこのオーナーから「ウチで乗るからには勝ってもらわないと困る」と言われたんですけど、そのチームも万年ビリで(笑)。マシンもトップチームから4秒落ちくらいだったので、それは無茶だろうと。SUPER GTはポッカの次が富士スピードウェイだったんですけど、ちょうどこの富士戦と韓国戦が被ってて。もともとGTはポッカのみの契約だったんで、ポッカでやれることやってアピールして、あとは韓国のレースで頑張ろうと思ってたんです。韓国でのレースは優勝できなかったんですけど、2位になれました。ビリだったチームがいきなり2位になれたので、監督も喜んでくれて。来年も契約してくれと言われましたね。

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