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2年連続の女王戴冠なるか? 5年目のミクGTプロジェクト 第1回

個人スポンサーとの絆を大事にしたい! 鈴木代表の闘魂

2012年02月03日 19時00分更新

文● 末岡大祐/ASCII.jp編集部

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震災後に続けてもいいのか、不安になった

──そこから震災があり、5月の富士戦が事実上の開幕戦になりましたね。

鈴木 ほんと、大変な時期にレース始めちゃったなあって思いましたね。うちもStudie仙台店が被災しましたし、本業がどこまで落ちるんだろうって不安が大きかったのが実情です。その後も計画停電だなんだで、ビジネスどころじゃなかったし。スペアパーツ一式を頼んでたんですけど、時期が時期ですからなかなか届かなかった。まあ、これはウチのチームだけの話じゃないと思いますけどね。海外からのエンジニアもBMWグループで日本への渡航禁止令が出されていたため、来られなかったし。また、震災の影響じゃないんですけど、Z4自体が来るのも遅れたりと、開幕直前はほんとにバタバタだったなあ。

ドタバタだったが、なんと過去最高順位の5位を獲得した

──それでも富士では5位という過去最高位をいきなり叩き出しましたね。

鈴木 谷口選手や右京さんが加わって、クルマもファクトリー(RSファイン)も言い訳できない状況でしたから、それを考えると5位はちょっと物足りないとも思いましたが、あの悪天候の中、トラブルもなく帰ってきたし、データ取りはできたし、なんといっても初音ミクGTプロジェクト史上最高位ですからね! 収穫の多かったレースでした。スーパーラップにも進出できて、新しいミクちゃんの歌を流すことができましたし、良いスタートだったと思います。

──クルマの電装系のトラブルがちょこっとあったみたいですが……。

鈴木 あのときは、誰も対処法がわからなかったんです。例えば、エンジンマークが点灯しました。じゃあ一旦ピットに戻れ、ということになります。実はあのクルマのセンサーは過敏すぎて、エンジンランプが時々点くのは無視しちゃっていいんです。点きっぱなしになったり、違う色になったらマズイんですけど。そういうことがあとでわかるんですが、この時点では何もわかってなかったので、何かあるたびにピットに戻って、いちいち確認してましたね。

──それでも岡山は4位と、これまた順位を上げました。

鈴木 あのときも雨でしたけど、ダンロップとハンコックが強かったですよね。その中で4位を獲得できたのはいい結果でした。

──そして第3戦のセパンでついに初優勝!

鈴木 正直、最初はチームの誰も期待してなかったんですよ。コーナーの多いサーキットだから不利だろうと。個人的には3位までには入りたいと思っていて。だって、5位、4位ときたら次は3位でしょう! あとは、ドライの状態でも走りたかったしね。幸い、セパンなのに雨がまったく降らないというラッキーなコンディションで。練習走行の段階からかなりの手応えを感じていて、もしかしたら予選も(ポール)いけちゃうんじゃない? というムードになりましたからね。

──予選はブッチギリでしたね。

鈴木 あのときの谷口選手は、何か(神か天使か)が降りてきたとしか思えない走りでしたね。まったく不安にならなかったし。それがまさか決勝まで続くとは。

──決勝でも後ろにかなり差を付けてましたしね。

鈴木 一人旅で途中からほどんどテレビに映らなかったんですよね。後半は映りっぱなしだったみたいですけど(笑)。今年(2011年)、チャンピオンになりましたけど、一番感動して一番泣いたのってこのセパンの優勝なんですよ。情けないことに、自分のチームが優勝するって思い描いてなかったんです。だから泣いて喚いて叫んで。英語もできないのに、すぐにシューベルト・モータースポーツ(Z4を購入したところ)に電話して報告しましたから。もう、あのときは本当に興奮しまくってました(笑)。

───日本に凱旋してのSUGO戦でしたが……。

鈴木 震災で大きな被害を受けた地域なので、カッコイイ走りを見せて「頑張ってください!」とやりたかったんですが、どうにも空回りしてしまって。GT500クラスのマシンと接触してコースアウトして、なんとか6位で終えられたのは、不幸中の幸いだったかな。予選が8位だったことを考えても、1ポイントでも多く取れたのはよかったですね。僕に限ってですが、セパンの優勝で意識が変わってココから「チャンピオンを獲るためには」ということを考えるようになりました。

──ついにレース距離が500kmになってしまった鈴鹿戦は、「谷口スリック劇場」で盛り上がりましたよね。

鈴木 また雨なんだもんなあ……。予選はなんとか6位でしたけど、決勝はほんと苦しい戦いでしたね。セーフティーカーの入るタイミングも最悪だったし。あの中、谷口選手が「何もしないより、できることはやりたい」ということで大橋監督とRSファインの河野さんと谷口選手の相談の結果、スリックで行こうと。今思い返してもあの走りはすごかった。ポイント圏外まで落ちてた順位を5位まで上げましたからね。この鈴鹿のときかな、チーム全体でミーティングして、一度仕切り直して、チャンピオンを獲るためにどうすればいいのかとかなり話し合いました。

──ホームコースの富士は気合いが漲ってましたよね。

鈴木 だって、ここは負けられないでしょう! もう優勝以外は見てませんでしたね。だから、「お願いだから晴れて!」って(笑)。そのおかげで予選、決勝ともに晴れてくれて、しかも1位で終えられて。この勝利によって年間ランキングも1位になれましたし。何より、国内の個人スポンサーさんの前で優勝を見せられたのがよかった。

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