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2年連続の女王戴冠なるか? 5年目のミクGTプロジェクト 第1回

個人スポンサーとの絆を大事にしたい! 鈴木代表の闘魂

2012年02月03日 19時00分更新

文● 末岡大祐/ASCII.jp編集部

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ほぼフル参戦になった2009年

──2009年は前年度以上にいろいろありましたね。

鈴木 2009年で一番キツかったのは星名君だと思いますよ。この年も僕はまだエントラントという立場じゃなかったので、彼の決断の意味とかが理解できていませんでした。頭も胃も痛めて、いろんな決断をしていたんだと思います。2011年に初めて自分でエントラントをやってみて、ようやく彼の大変さがわかりましたもの。あの頃と今だと僕の立場はまったく違いますけど、この大変さをわかっていれば、あの頃、星名君の相談に乗ったりアドバイスしたりできたんじゃないかなあ。

2009年を戦ったミクZ4。この年もまた、GT3車両ではなかった

──シーズン途中でいきなりZ4が速くなりましたよね。

鈴木 なりましたねえ。そんな大変な中でも、星名君がミクZ4に速さを注ぎ込み続けてくれて、8月の鈴鹿で番場選手が加入した頃には見違えるように速くなりましたよね。エンジンもそれまでの5リッターV8から、4リッターV8という現行M3に載ってるエンジンになった。排気量は小さくなったけどレスポンスが良くなって、より高回転型になり、特に最高速が速くなりました。

──番場選手はどなたが連れて来たんですか?

鈴木 星名君です。彼はドライバーにもだけど、レース関係者に顔が広かったんです。番場選手の走りをうちのチームが気に入って、正式にGSRに加入してもらったんです。そしたら次のオートポリスが速いじゃないですか! 「こりゃあ、ポイント圏内行けるんじゃないか?」って思ってたら見事に初ポイントをもたらしてくれました。みんなで「番ちゃんやるなあ~」って、大喜びでしたよ(笑)。

 でも、2010年につなげるためにモチベーション高めで望んだ最終戦のもてぎは、気合いが空回りしちゃったみたいで、結局トラブルで3周しか走れずに終わっちゃったという。リタイアも多かったし、フラストレーションが溜まった年でしたね。

鈴鹿戦の第3ドライバーとして加入した番場選手。番場選手へのインタビューも後日公開予定

2010年は本当に苦しいシーズンだった

──そしてその2010年は、鈴木さんにとって最も苦しかった年、ポルシェにスイッチした年でしたね。

鈴木 2009年から2010年になるときは本当にいろいろあったんですよ。チームがバラバラになってしまって。でも個人スポンサーさんは増え続けてるし、チームは夢半ばだし、初音ミクGTプロジェクトはなんとか継続したいという思いが強かった。2009年はオートポリスの1ポイントで喜んだだけでしたから。辛いこと、悔しいことばっかりだったけど、なんとか続けたかった。だけど、あの体制で翌年も続けることは無理でした。
 たまたまそのとき、COXさんのほうから「久々にレースに戻るから、よろしく頼むよ」って声をかけられて。大橋さんと一緒に会いにいったら、スルスルと話がまとまったんです。もちろん、僕としてはBMW以外で出るのは本意じゃないですよ(笑)。だからチームに残るつもりはありませんでした。しかし、このプロジェクトを続けることが大事だし、僕の古巣のCOXさんと一緒なら安心だなと。

 COXの渦尻社長からも「今後のレースはGT3車両がメインになってくると思うから、勉強のためにもチームに残ったほうがいい」と言われて、さらに安藝さんや大橋さんからも「鈴木さん個人で残ってくれるならゼヒ」と言っていただきまして、(スポーティングディレクターとして)残留させてもらうことになったんです。

 とはいえ、開幕戦にStudieのお客さんや周りの人からは「裏切り者」呼ばわりされて大変でしたよ! すでにBMWからポルシェに乗り換えた人からは「やっとこっちに来たか」とか言われたし(笑)。「いやいや、そうじゃないんですよ」と会う人ごとに釈明して回ってましたね、あの頃は。

──しかも、最初は中古の996でのスタートでしたね。

鈴木 そうなんですよ。最初は新型の997GT3Rで参戦って話だったんですけど、途中で開幕戦に間に合わないことが判明して、たまたま個体が空いていたのが996だったんで。いきなり2004年式の中古車かよ、みたいな(笑)。

ポルシェ・911(Type996)GT3 RSR。2004年式とはいえ、スピードは周りの新型マシンたちを圧倒した

──年式を考えると老兵ではありましたが、かなり速かったですよね。

鈴木 そうそう、型落ちとは思えないスピードで「あれ、戦えるじゃん!?」って。富士でのあのスピンさえなければ、上位も見えてましたよ。

──2010年にGSRへ新加入した岩手のスター・ササキングこと佐々木雅弘選手は、どのような経緯で起用されたんですか?

鈴木 COXさんのオーディションですね。最初会ったときは「なんてチャラいヤツなんだ?」って思いましたけど(笑)、いいヤツでしたね。ミスも少なかったですし。最終的にはGTカーにも慣れてかなり速くなって。1年だけだったのはもったいなかったなあ。

岩手のスター・ササキングこと佐々木雅弘選手。去年は鈴鹿戦でとあるチームから復帰の予定だったが、クルマがクラッシュしてしまいお流れに。今年こそGT復帰なるか!?

──そんなポルシェで参戦した2010年は、今振り返ってみるとどうでしたか?

鈴木 そうですね、結果はなかなか出なかったけど、得たものは多かったですね。やっぱりFIA車両のメリット・デメリットがわかったのが大きいです。基本的にマシンをいじれないので、できることできる範囲でキッチリやるしかない。個々のパーツ管理もシンプルになりますし。マシンがいじれないということは、タイヤとドライバーの重要性や依存度がより大きいんですよ。タイヤメーカーとの繋がり方も大事だし。

 あと、今だから言えるんですけど。GSRとCOXを繋ぐ役目だった僕の仕事として、もっと一体感を出せたんじゃないかなぁ、と思いました。 COXさんだけでなく、ポルシェジャパンさんとか、ポルシェAGさんからもご協力いただいていましたから、もっといろいろできたと思うんです。そんな結果がレースにも表われてしまったんじゃないでしょうか。残念ながら年間通してシングル順位が1回という……。COXの森さんとか渡辺さんとか、ポルシェジャパンの関本さんとかがニコニコ生放送に出てくれたりして、チームを盛り上げてくれたんですけどね。

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