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ミクZ4、3年目の本気! SUPER GT激闘記 第42回

日本最速の歌姫が誕生!

天使のミクさんが女王に!ミクZ4、GT300でついに頂点へ!

2011年10月20日 22時14分更新

文● 末岡大祐/ASCII.jp編集部 ●撮影/鉄谷康博、加藤智充、編集部

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日本レース界を痛車が席捲した
メモリアルな2011年

 大橋監督は「正直なところ、レガシィのトラブルやハンコックのピットスタートなどに助けられた感はあります。もし彼らが普通にレースをしていたら、優勝は難しかったでしょう。だけど、昨日から流れはわれわれにありました。その流れに決勝でも乗れた結果がこの優勝、チャンピオンなんでしょうね。ともあれ、肩の荷が下りました(笑)」と冷静に分析しながらも、嬉しさを隠しきれないようだ。

 2008年の鈴鹿サーキットで痛車のレースカーとしてデビューしてから、「万年テールエンダー」だの、「GT250クラス」だのと言われ続けた。なかなか上がらない成績に試行錯誤し、ときにはドライバーを、ときにはマシンを変更して、国内最高峰レースであるSUPER GTに挑み続けた。初めて完走しただけでもうれしかった。練習走行で1位を記録したときはまるで勝利したかのように盛り上がった。1ポイント獲得できたときは狂喜乱舞した。個人スポンサーをはじめとするファンのみんなと、一歩ずつ成長してきたのだ。

 だが、やっぱりレースは勝ってなんぼ。結果を残さねばファンもスポンサーも納得しない。そこで、必勝の布陣を敷いて望んだ2011年。シーズン前のインタビューで安藝社長は「理想を言えば今シーズンでチャンピオン。ダメでも来年、再来年に繋げていきたい」と語っていた(関連記事)。その夢がいきなり実現したのだ。チーム関係者、そしてファンのみんなが一丸となってチャンピオンを目指した結果である。しかも、年間3勝という驚異的な勝率だ。谷口選手と右京SDの加入も大きいが、2009年後半からチームを引っ張ってきた番場選手の成長もチャンピオンの要因のひとつなのは間違いない。大きなプレッシャーをはね除けて、今回はスタートドライバーを務め、1位のまま谷口選手にバトンを渡したのだから。

 谷口選手は「最初はレーシングチームとして不安な部分がたくさんあって(笑)。でも、僕もメンテナンスチーム(RSファイン)もチャンピオンを取りたいから、遠慮なく言いたいことを言わせてもらって、改善できるところはすべて改善してもらいました。ずいぶんとワガママを聞いてもらいましたね。番場選手に小言を言うことなんてしょっちゅうで。この1年でチーム一丸となって成長して、念願だったチャンピオンも取れたし、言うことナシです!」と、今シーズンを振り返った。

 なお、輸入車がGTのチャンピオンになったのは1996年の全日本GT選手権(SUPER GTの前身)における「ラーク・マクラーレン」(チーム郷)と2000年の「シェルタイサンアドバン 911GT3R」(タイサン)だけ。SUPER GTになってからは一度もない。マクラーレンF1 GTRに搭載されていたエンジンがBMW製だったことを考えると、15年ぶりの快挙と言える。当時はマクラーレンF1 GTRの強さと、それに対する性能調整で数々の遺恨を残したが、今回のミクZ4の勝利は、あらゆる性能調整やハンデを受け入れたうえでの、文句のつけようがないチャンピオン獲得である。鈴木代表は「すべてがうまく、ドンピシャにハマったんでしょうね」と満面の笑みで勝因を語った。ちなみに今シーズン、全戦でポイントを獲得したのはミクチームだけである。

 奇しくもGT500、GT300ともにチャンピオンになったのは結成1年目のプライベーターだったのも面白い(GT500は、#46 S Road GT-R)。メーカーの後ろ盾がなくても、GTでチャンピオンを取れるということを証明したわけだ。

鈴木代表や安藝社長、右京SDなど個性的なチームスタッフがレース全体を盛り上げていたのも、このチームの特徴だ

今シーズンでレースクイーンを卒業してしまうAYAMIちゃんも、実は2008年からのスターティングメンバーなのだ。4シーズン、本当にお疲れさまでした!

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