このページの本文へ

四本淑三の「ミュージック・ギークス!」 第71回

週刊アスキー福岡総編集長が語る

初音ミクは日本の伝統芸能だった

2011年09月17日 12時00分更新

文● 四本淑三

  • この記事をはてなブックマークに追加
  • 本文印刷

維新以前の大衆芸能がボカロで還ってきた

―― それなのに明治以降、人形浄瑠璃は衰退していくんですけど、刀狩りとか廃仏毀釈みたいなことがあったんですか?

福岡 僕もよく分からないのですが、当時、色んなモノを捨てていますからね。野蛮なものはやめようという流れはあったと思います。それが初音ミクでよみがえったのは、戦後的なものが終わったのかもしれないですね。若い世代は昔の芸能を知っているわけではないし。何かDNA的なものが働いているとしか思えない。

―― 日本人というのは元々、みんなでスターを創りだしていくのを楽しむ才覚があって、それがここしばらく、エンタメの産業化で封印されて来たのかもしれないですね。

福岡 みんなでひいきして盛り上がっていくんですよ。今のボーカロイドのシーンを見ていると、色んなコラボレーションがいろんな所で生成されているじゃないですか。しかも作者、読人知らずみたいなのが基本だったり。浄瑠璃の台本もほとんどが合作なんですよ。大夫さんとか皆で作っていた。それが明治維新で崩壊して、西洋的なクリエイターがいて、大衆がいてというモデルになったけど、やっとみんなで作って、皆で楽しむみたいなところに戻ってきたと思う。

―― ボカロの何がいいって、仕掛けられてない感じですよね。

福岡 そうなんです。仕掛けようと思った瞬間に失敗するんです。だから代理店が入ってもダメなんですよ。

ボーカロイドライブ「ドキ生」も、ボーカロイドイベント「ボーマス」も、どちらもファンが好きで始めているもの。つまりそういう“空気”をわかっている人がやらないとファンは敬遠してしまう

―― 初音ミク以前は、ドラマのタイアップでミリオンを生み出す手法も飽きられていたし、ドラマの視聴率も下がっていた。それがボカロで維新以前に戻ったと思うと面白いですね。

福岡 日本の作る文化というのは深いんですよ。深い上に皆が消費者になり得るんです。ニコ動のコメントなんかも的確でしょ? 作り手としてもすごいですし、消費する側としてもすごい。だからインタラクションできちゃうんですよ。海外で受け入れられて日本に逆輸入なんて話がありますけど、そんなことないですよ。日本で見出されたアーティストっていっぱいいるじゃないですか。そういう見る目がなかったら、いつまで経っても下手な絵でオーケーになってますよね。

―― 日本の絵描きの水準は異常に高いですからね。

福岡 海外のコミケ的なもの、アニメフェスみたいなものに行くと、みんな大したことがないんです。上手い人もいるんですけど、上手いと言ってもたかが知れてますからね。それくらいのものは日本に帰ると、あり得ない単位で存在している。その状況を考えると、日本は深すぎますよ。

カテゴリートップへ

この連載の記事

注目ニュース

ASCII倶楽部

プレミアムPC試用レポート

ピックアップ

ASCII.jp RSS2.0 配信中

ASCII.jpメール デジタルMac/iPodマガジン