Twitter、ニコ動まで 変わらない日本のインターネット
林 パソコン買ったところで、何に使うかってわかんないですよね。
遠藤 「勉強ができるから」って親だまして買うわけですよ。で、ゲームやると(笑)。
林 パソコン通信はじめたらそっちの方が楽しくなってきちゃうんですよね。当時の雑誌には「Compunication」とか書いてあるんだけど、パソコンって実はコミュニケーションの道具だったんだ、機械より人間の方が面白かったって気づく。チャットとかも楽しかったし。いまもTwitterとかやってますけど、当時も同じようにいろんな人と出会うことが面白かった。それって実はハム、アマチュア無線の人たちはもっと前からやってたことだったんですよね。
遠藤 コンピューターって、1983年ごろには音楽もできるようになったし、ビデオもいじれるようになったりしている。ノートパソコンの走りみたいなのも出てきて、そこからはレゾリューション(解像度)を上げるという歴史があったと思うんです。
そこで決定的に歴史を変える側面って、やっぱり通信なんですよ。企業内だったらLANだし、普通の人ならパソ通・インターネット。2001年にYahoo!BBが始まって、駅前で無料のADSLモデム配ってたのがあれ10年前って考えたらけっこうオドロキなんですけど。時代で変わってるのはやっぱりネットワークなんですよ。パソ通が来て、LANが来て、インターネットになって、企業内WANになって。そういう節目っていくつもあると思うんですけど。
林 人間のメンタリティってなかなか変わらないですよね。70年代にも掲示板にコマンドを入れてアニメーションさせるようなのがあったじゃないですか。いまTwitterを見ると、Unicodeの絵文字を入れてヘンな絵文字を出したりとかしている。
遠藤 そこは変わらないね、何かを表現したいというか。
―― 会場からのアンケートだと、セーラームーンの声優さんたちとのオフ会に行っていい席がとれたという人がいます。あと、就職活動に使ったとか。
遠藤 それは大きいよね。就職活動系の本とか読んでても分からないけど、パソ通でそういう商売やってる人の話聞くと「なんだこんなことか」みたいなのが分かったりした。
林 いまもTwitterに有名人がいるとかやってますけど、パソ通時代からクロード・チアリさんとかいたわけですしね。
遠藤 1985年、アスキーネットに入ったときに古谷徹さんがいて。「巨人の星ごっこ」やってましたからね。「星くん!」とか言って。ウチの宮野っていう伴宙太みたいな編集者がいるんですけど、3人でやってましたよ。
―― 遠藤さんはパソコン通信でいちばん変わったなと思うことは何がありますか?
遠藤 ちょっとまじめな話になります。パブリックドメイン……当時はPDSって呼び方をしていたりしたんですけど、フリーソフトとかシェアウェアみたいなものができて、ソフトに対する考え方が変わってきたんですよ。もちろんフロッピーでフリーウェアを配布するというのもアメリカでは盛んだったし、あるにはあったんですけど、パソコン通信で圧倒的にその考え方が変わってきたんです。
「自分が作ったり、友達が作ったソフト」、ニコニコ動画で友だちが作ったミクの動画みたいな感覚で。「ソフト使ってます!」とか言われたりとか。作る側もけっこう自己複製欲求みたいなのがはたらくんじゃないかと。そういうのってすごい興奮するし、自分も便利だったりするわけですよ。ソフトの話なんだけど、社会性の変化というか、違うものにふれたって感覚はすごく大きいんですよ。ギブアンドテイクみたいな世界に初めて触れた。
ソフトって、ネットを動くための草履みたいな道具として必要なものだったんですよね。圧縮ソフト、PKARCとか。それでフリーソフトウェア大賞ってのもやってたんですよ。アスキーで本にさせてくださいって。無料で流れているものを本にして売っていいのかみたいな話があったんですけど、やっぱりユーザーは欲しいというところもあって作ったんです。
林 パッケージとして流通していないにも関わらず、めちゃくちゃ大勢の人が使ってるわけですからね。
遠藤 ぼくは今日ここに偉そうに出てきてるけど、本当にスターだったのはフリーソフトの作者だと思うんです。
林 ぼくもソフトの紹介を仕事にしたことがありましたからね。AOLのMacのシェアウェアフォーラムのトップ20を紹介するものだったんですよ。向こうの面白いソフトをMacPowerで紹介しつつも、日本のパソ通じゃダウンロードできないっていうんで、毎月紹介した数日以内にニフティで配布した。これも初めてだったんですよね。