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四本淑三の「ミュージック・ギークス!」 第65回

古川本舗「Alice in wonderword」インタビュー

ニコ動“歌い手”と野宮真貴・カヒミが共演、その理由は

2011年07月16日 12時00分更新

文● 四本淑三

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レーベルでやる意義について

―― レーベルに参加して制作するアルバムは同人とどう違いますか?

古川 前に四本さんには、レーベルそのものに懐疑的というか、レーベルの存在意義とは何ぞやみたいな話をしたと思うんです。一人でボーカロイドを使って音楽を作り、一人でCDにパッケージングまでして、一人で売りに行く。そういう一連の流れができ上がっていて、生活の基盤は他にあり、自分の規模感でそれでいいと思えば、それ以上に広げる必要がない。その中でレーベルと言われても何が広がるのか分からん、という話だったと思うんですけど。

―― 今年初めの取材でしたね。

古川 だけど、一人じゃできないことをやらせてもらえるんだったら、参加したい。今回のアルバムのコンセプトも、なるべく自分では動かないというか、人に任せられるところは、人にどんどん任せたいというもので。自分では歌わないし、自分では演奏しない、でも曲を作ってそれを素材として提供するという役割ですね。それで他人と一緒に作品を作る意味もあるし、他人と一緒に作った作品を他人に届けてもらうという、それがレーベルに参加する意義になるだろうと。

balloomレーベル

―― えーと、つまり今回、古川さんは演奏には参加していないんですか?

古川 もともとあったプログラムをキーに合わせて動かしたりとか。

―― それだけ聞くとすごく楽な仕事みたいですが。

古川 やっぱり録音してもらって、自分だったらこうする、という箇所も出てくるわけです。だからといってなんでもかんでも「それは俺が思っているものとは違うから変えてくれ」というのであれば一緒にやる意味がない。人が出してくれたものをかき集めて、それを自分の作品としてまとめあげる作業というのは必要で、それには気を使うというか。「これは違う!」と曲げるんじゃなくて、こう、ゆるりと曲げる。そういう作業があったり。あとシンバルを録り忘れていた箇所があって、一発だけ叩いた箇所もあります。

―― じゃあ演奏はシンバル一発だけ?

古川 それでも5テイクくらい録りましたよ。ドラムの前に座って「回します」と言われてガチガチになって。

―― 全部できる人にとって、隔靴掻痒感はすごかったと思いますけど。

古川 一人でできることって、確かに濃縮されたものにはなるかもしれないけど、自分の想像の範囲を出ないものなので。その範囲で自分が良いと思えるものって、いままで同人盤として作ってきたわけですよね。それをアルバムとしてまとめようという時に、今までのものを焼き直して入れましたということだと、退屈なものしかできない。同人盤を聴いてきた人たちがビックリするようなものじゃないと、やる意味がない。もし、そこで賛否両論が巻き起こってくれたら、広がったということじゃないですか。自分には受け入れられなかったという人が出てきても、それは横に広がったから見えてきた話であって。逆に今まで興味なかったけど、これで聴いたら良かったと。それは嬉しいことだったりするので。

―― それが今までよりも広い相手に聴かせられている、という証明ですよね。

古川 そうですね。他人とやるんだから、自分の手の届かないところに手が届かないと、やっぱりレーベルに入れてもらった意味もないし。

―― ただボカロのリスナーには、人が歌っていること自体、受け入れられないという気持ちもあるみたいですよ。

古川 オケから何からまったく違うものを作ったという感覚でいるので「これは前のものとは違うものだ! だから好き、あるいは嫌い」という風に聴いてもらえるのは狙い通りなので嬉しいですね。

―― 古川さん的にはパラレルに存在しているものなわけですか。

古川 ぜんぜん違うものですよね。

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