クラウドサービスと「ロックイン」
現在著名なクラウドといえば、SalesForceに代表されるSaaS(Software as a Service)、「Google App Engine」や「Windows Azure」のようなPaaS(Platform as a Service)、そして「Amazone EC2」やソフトバンクテレコムの「ホワイトクラウド」といったIaaS(Infrastructure as a Service)であろう。
こうした、すでに存在するクラウドサービスの斬新さをご存じの方であれば、iCloudはMobileMeからの小規模アップデートにしか見えず、あまりぱっとしない発表に思われたはずだ。
しかし、今回の基調講演で筆者がもっとも注目した発表は、このiCloudだ。特に、BackupとDocumentsから未来のiCloudの片鱗が垣間見えるようでならない。何しろ、LionやiOS 5と違って“真打ち”ジョブズ氏自身が説明をしたのだ。まったく誰も評価しなかったとしても、アップルはこれに大きな期待をかけていることは間違いない。
ちょっと考えてみてほしい。例えば、OS Xを高く評価する人は多いが、それに比べて実際に移行する人の数は決して多くはない。これは何故だろうか? あるいは、SNSといえば今や「Facebook」の隆盛がうたわれているものの、変わらず「mixi」を使い続けるユーザーは非常に多い。なぜだろうか?
こうした問いを投げれば、ほとんどの人が「“移行”はコストがかかるから」という答えを思い浮かべるだろう。
では、なぜ「移行」は大変なのか? これはどうだろう?
操作性やユーザーインターフェースの変化や違いは、実はそう大きな問題ではない。心理的には大きく見えるが、いったん移行してしまえば、多くのユーザーがものの数週間から数ヵ月で「慣れて」しまう。既存のフィーチャーフォンから、iPhoneのようなスマートフォンへ移行した人を見るだけでも、これは明らかだ。
私事で恐縮だが、還暦をとうに過ぎた筆者の父が、使い慣れたフィーチャーフォンからiPhoneに今年1月に移行した。当初は小さくて見づらくないかと心配したものだが、今では折々にメールは送ってくるわSMSは使うわで見事に使いこなしている。
しかしそんな父が、解約したフィーチャーフォンを持ち歩いている。理由を尋ねると、電話帳として利用しているという。iPhoneへの移行時に、フィーチャーフォンの電話帳データは、OS XのアドレスブックとiPhoneにコピー済みなのだが、細かな項目の差異がどうしても移行できなかったので、以前のフィーチャーフォンが手放せないのだ。
なんと父は、住所/電話番号、誕生日などはもちろん、取引先の人に絡む商売の諸情報やら、趣味(相手がゴルフならそのスコア)やら、ありとあらゆる「人」にひもづく情報をまとめて記録していたのだ。これはiPhone標準の住所録では対応しきれない。
現在筆者の悩みは、いかにこれを移行させるかである。「パーソナルデータベース『Bento』でデータベースを作るべきか」、「父が求めるレベルの入力が可能な住所録を探すか」、あるいは「いっそ開発するか」というところだ。
閑話休題。筆者の家庭内での悩み(?)はともかくとして、容易に移行できるはずの住所録ですら、データを入れる「箱」の違いによって解決しにくい問題が発生する。ある箱に入れたデータを他の箱に入れ替えるには、ささやかな違いが大きな問題になるのだ。ここに移行の大変さがある。
これは箱が独自性を持てば持つほど、箱の中身が多ければ多いほど難易度が上がっていく。
iCloudの5GBの無償領域にドキュメントを入れていくことで、利便性は何倍にも高まる。WWDC 2011に参加した開発者たちは、熱意を持って対応アプリケーションを発表し、Mac App Storeで続々と提供していくだろう。ユーザー側にとっても、便利なソフトが増えていけばいくほど、非常に快適な世の中になっていくはずだ。
そして、大事なドキュメントをiCloudに蓄積するほど、そこから離れる形の移行はどんどん難しくなる。
その意味では、クラウドは、従来のパソコンの世界からは考えられないほど「ロックイン」されやすいのだ。
5GBの無償領域につられて、メールや住所録のみならず、数多のドキュメントがiCloudにロックインされる。利便性の高い未来ではあるが、一歩間違えれば「黄金の檻」に囚われる。税金のようにアップルに集金されてしまう未来もありえると思えてならない。
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