このページの本文へ

渡辺由美子の「誰がためにアニメは生まれる」 第15回

わたくしにもその壁を乗り越える力を~ッ!

これがオタクの生きる道!「海月姫」監督に聞く【後編】

2011年02月26日 12時00分更新

文● 渡辺由美子(@watanabe_yumiko

  • この記事をはてなブックマークに追加
  • 本文印刷

幻想の世間様は、自意識によって生まれる

―― 前回、「海月姫」の尼~ずは、今に生きる私たちの心理を代弁してくれている、というお話がありました。オタクなことをしているのが好きなのに、自分が世間的にちゃんとしていないんじゃないかと、どこかでコンプレックスに思っていたりするという。監督がアニメの仕事を一度辞めた体験とも通じる気がしますね。

大森 そうですね。そう言われてみれば確かに。

 振り返ると、僕が20代の頃に思っていた「ちゃんとしなきゃ」というのは、それこそ先にお話しした「幻想の世間様」(前編)だったのかもしれないです。隣の芝は青く見えたり、よそ様の方がちゃんとしているんじゃないかという、自分で勝手に作った色眼鏡というか、謎のモノサシですよね。

―― 「無縁社会」という言葉も流行っていますが、ちゃんとしなきゃいけないというプレッシャーは日本全体で高まっている気がします。幻想の世間様はどうして生まれるんだと思いますか。

大森 自意識だと思います。「オタクな俺って恥ずかしい」というのも、自意識ですよね。「こんなことをしている自分は、他人から見てどうなんだ」という。

 ……それで思い出したんですが、僕、海月姫をやる前から、クラゲが大好きなんですよ。アニメに復帰して「赤ちゃんと僕」の監督に決まった頃も、友達が始めたクラゲバーを手伝っていました。東京湾までクラゲを捕りに行ったり、(水を汚さないために)水槽から出して餌やりをしたりして。監督業のかたわら、3年くらいやっていました。

―― クラゲと自意識、どのような関係があるのでしょうか。

大森 クラゲの魅力について、当時一緒にバーをやっていた仲間とよく話をしたんですけど、クラゲってほとんど生きているんだか死んでいるんだかわからない生き物ですよね。たぶんクラゲ自身も生きているという自覚がない。そこがまずかっこいいなという話。なおかつ、僕らが勝手に作ってた物語なんですけど、水槽の中で泳ぎながら、こいつらどこかで海に憧れているに違いない。水槽にいながら海に憧れ、自分が生きているのか死んでいるのかも分からずただ漂っているだけで、何のエゴイズムもない。あと、クラゲって、死んじゃうとどんどん縮んでいって、最後には溶けてほとんど形がなくなってしまうんですね。自分の残骸すら残さないという潔さがまたかっこいいよな、みたいな(笑)。

 クラゲって、当時僕らの中で流行っていた言葉で、仏教用語でもありますけど「無」なんですよね。まったくなし。無なんです。字の形も似ていますよね、無とクラゲって(笑)。

―― 自分について何も考えていないところが、自分のことについて考え込みがちな人間のメンタリティーと真逆にあるのでしょうか。

大森 そう思っていました。そういう自意識のなさに対する憧れがあったんだと思います。それだけ自分の自意識というのは、抜くのが難しいということかもしれないです。

 「自分は世間様から見てちゃんとしていない」。そういうふうにジャッジする物差しって、現実にあるかどうかと言えば、自分が意識しなかったら存在しないと思うんですよ。まさに自意識という感じで。ある意味、自分で作っているものでもあるし、世間が作っているものと思い込んでいるだけかもしれないですよね。

 昔の僕自身の体験で言うと、アニメに対する偏見は、自分で作り出していたんだろうなと。壁を作っているのは自分だけだったんだと思うんですね、今考えると。だから今、アニメをお客さんに届けるときに「自分で壁を作らない」というふうに思うんでしょうね。僕にとってアニメ作りで大事なものというのは、突き詰めればそのことだけですね。

(次のページに続く)

カテゴリートップへ

この連載の記事

注目ニュース

ASCII倶楽部

プレミアムPC試用レポート

ピックアップ

ASCII.jp RSS2.0 配信中

ASCII.jpメール デジタルMac/iPodマガジン