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渡辺由美子の「誰がためにアニメは生まれる」 第15回

わたくしにもその壁を乗り越える力を~ッ!

これがオタクの生きる道!「海月姫」監督に聞く【後編】

2011年02月26日 12時00分更新

文● 渡辺由美子(@watanabe_yumiko

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「アニメを辞めてちゃんとしたい」

大森 妙な話なんですが、自分がアニメの仕事をしていることがちょっと恥ずかしく思えてきてしまったんですよ。こういう商売を続けているというのは、社会的に「ちゃんとしていないんじゃないか」って。

 アニメーションという仕事に対して、心のどこかでオタク的な世界にいることのコンプレックスみたいなものを感じていて。自分自身でアニメというジャンルを卑下していたところがあったんです。

 このままじゃ自分はいつまで経ってもちゃんとした人間になれないんじゃないかと思い込んでしまって、それを何とかしなきゃと自分自身がんじがらめになってしまって、にっちもさっちもいかなくなってしまった。当時はアニメーター(作画)でずっと机にしがみついて描いてはいるけど、収入も低いし彼女もいない(笑)。こんな俺ってどうなのみたいなことを、悶々と考えながら描いていたので。

 今思えば、アニメという仕事のせいでも何でもないんですが、そんな気持ちがすごく高まってしまい、辞めたんです。その後、3年くらい実写の映像制作の仕事をしていました。

―― アニメの仕事を離れてみて、いかがでしたか。

大森 結論は、「なんだ変わらないじゃん」でした。

 外の世界に踏み出してみてその世界を味わってみると、自分はどこににいても、結局は同じなんだなと気が付いたんです。自分が欲しいものとかやりたいことって、突き詰めればひとつだったんだ、という。口に出すとこっ恥ずかしいけど、人が感動したり楽しんでる姿が見たい。その作品を作ってるのが自分で、そこに対して達成感を得たい。そういうのが僕は欲しかったんだ、というのがすごく分かってしまった。なら別にアニメーションでいいじゃん、というふうに納得できたんです。

 アニメーションに対して、どこかオタク的な世界にいることへのコンプレックスみたいなものがあって、自分自身で卑下していたのが、変なこだわりがなくなった。すっかり殻が取れたというか。

―― 外に出てみたことで、自分を客観的に見られた、ということですか。

大森 はい。でもそれは、いったん外に出て味わってみないとわからないものだったとも思うんです。やっぱり20代って誰しも、何がしか「自分はこのままでいいいのか」という迷いが生じる時期なんだと思います。今思えば、「このままでいいんだ」という確証が得たかったというか、外の世界を体験して視野を広げて、より内心の欲求に正当性を得たかったということだと思うんですけど。もっとも、辞めた瞬間はもっと切羽詰まった感じでしたけど。

 実はやめる前、ぷいっと何もかもかなぐり捨てて辞めようとしてたんですが、ちょうどそのとき、「平成ムーミン」と呼ばれていた「楽しいムーミン一家」が始まるという話を耳にして。僕は中学の時にトーベ・ヤンソンの原作に出会ったことがアニメの仕事を志すきっかけだったんです。これをやらなずに辞めちゃいけない、みたいに慌てて電話して参加させてもらったんですね。そもそも未練がましいんです(笑)。

(次のページに続く)

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