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池田信夫の「サイバーリバタリアン」 第135回

新卒一括採用が「ITゼネコン構造」を生む

2011年02月16日 16時00分更新

文● 池田信夫/経済学者

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採用を多様化しないとソフトウェア産業に未来はない

 しかし、このような雇用慣行を続けた結果、日本のソフトウェア産業では親会社は仕様の決定と工程管理を行なうだけで、コーディングなどの専門的な仕事は下請けに出されるITゼネコン構造が生まれた。こうした構造は、高度成長期の製造業のように単純な技術で安くつくるブルーカラーが競争力の源泉だったときには、一定の合理性があった。

 市場が変化して部門を廃止するとき、労働者を解雇すると労使紛争が起こる。欧米のような産業別労働組合ではストライキなどで徹底的に抵抗するので業種転換が進まないが、日本では解雇しないで配置転換するので労使紛争が少なく、企業グループが全体として拡大しているときは系列の中で労働者を再配置して生産性を維持できた。

 しかし90年代以降、新興国との競争で企業の最適規模が縮小し、賃金の引き下げ圧力が強まると、成長を前提にした長期的関係は維持できなくなる。競争力の源泉になるコーディングの能力が中核企業に蓄積されないので、イノベーションが生まれない。ソフトウェアはコストを「人月」で計算し、価格を「原価+適正利潤」で算出する労働集約的な「3K」業種になり、優秀な人材が集まらない。

 これに対して欧米のソフトウェア企業では、エンジニアが企業の中枢である。シリコンバレーでソフトウェア企業を経営する中島 聡氏は「米国のソフトウェアビジネスにとってのソフトウェアエンジニアは、球団経営における野球選手のような存在。ストックオプションなどを駆使した魅力的な雇用条件を提供して優秀な人材を集め、彼らの生産効率を上げることが、ビジネスを経営するうえで最も大切なことの一つである」という。

 ソフトウェア技術者の能力によってコーディングの能率は大幅に変わるので、才能のあるスターを何人もっているかで企業の競争力が決まる。だからソフトウェア企業はハリウッドのスタジオのような専門家集団になり、その中心はエンジニアやプロデューサーのようなクリエイターだ。ホワイトカラーはスターをサポートするマネジャーで、企業は芸能プロダクションのような才能の入れ物になる。

 このような変化は、日本でも不可能ではない。日本でも外資系企業では解雇や転職は当たり前だし、ゲームソフト業界は「作家」中心で人材の流動性が大きく、それが創造的なエネルギーになっている。解雇を実質的に禁止している雇用規制が大きな障害であることは確かだが、横並びで年功序列を守って新卒採用するのではなく、リスク覚悟で中途採用を増やし、専門能力を重視することが日本企業の生き残る道だろう。


筆者紹介──池田信夫


1953年、京都府生まれ。東京大学経済学部を卒業後、NHK入社。1993年退社後、学術博士(慶應義塾大学)。国際大学GLOCOM教授、経済産業研究所上席研究員などを経て、現在は株式会社アゴラブックス代表取締役、上武大学経営情報学部教授。著書に『使える経済書100冊』『希望を捨てる勇気』など。「池田信夫blog」のほか、言論サイト「アゴラ」を主宰。

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