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古田雄介の“顔の見えるインターネット” 第87回

プロ編集者の本気を見た!投稿サイト「思い出のファミコン」

2011年02月01日 12時00分更新

文● 古田雄介

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始めは「おきらく世論調査」「おれの大江戸線」

―― 深田さんはサイトでプロフィールをかなり詳しく紹介されていますが、「思い出のファミコン」に至るまでにいくつかのサイトを開設されていますね。まずはホームページを始めたいきさつを教えてください。

深田 大学を卒業して出版社に入社したのですが、その初ボーナスでパソコンを買ったのが始まりです。

 1997年当時、ネットではホームページ制作が流行っていたので、僕もパソコンを買ってすぐに「WELCOME TO MY HOME PAGE」的なサイトを作ってみたんですよ。もう本当に何の工夫もない、単なる自己紹介ページを。そんなサイトじゃつまらないし、すぐ放置してやめちゃいましたけど。

 ただ、ウェブを使えば、自由な発想でアウトプットができるという面白さは感じていました。その頃はちょうど仕事でも面白いと思ったネタを出版記事にすることの難しさを感じていた時期でしたし、書店にも「ホームページを作ろう」系のムックがたくさん並んでいたというのもあって、「とにかくウェブで面白いことをやりたい」という思いばかりが強かったと思います。

深田洋介氏。子供服のリサイクルサービス「マママーケット」など、子育てや教育ジャンルをメインに様々なプロデュースを手がけている。学研とAll About、サイバーエージェントを経て、現在は独立して活動中

―― それで2000年始めに「おきらく世論調査 100万人にききました」をスタートさせたと。

深田 はい。日記サイトのように毎回自分でネタを作って更新するというのはしんどいですし、自分には向かないというのがあったんですね。なら、毎回ユーザーを巻き込んで盛り上がるような、インタラクティブなものがいいなと思ったんですよ。

 たくさんの人に参加してもらうには、参加のハードルを下げたほうがいい。ということで、毎週二択の質問を7つ用意して、ただそれに答えていってもらうというスタイルにしました。だけど、ただの質問じゃ面白くない。だから、たとえば「今年の年賀状、多かったのは送った方? もらった方?」とか、どうでもいいけどちょっと気になるという微妙な質問にしようというコンセプトでやっていましたね。

 ただ、インタラクティブといっても質問を考えるのは僕なので、ネタを考え続けるのは大変でした。それでも2003年まで毎週約3年間、トータル1000問以上は作成しています。

「おきらく世論調査 100万人に聞きました」。深田氏が考えた二択の質問に多数の読者が答えていった。現在は休止中だが、いまも二択質問用のネタ帳を持ち歩いているという

―― 一方、ほぼ全部自分発のコンテンツにしている「おれの大江戸線」も2000年9月にやられていますね。

深田 こちらはぼくが(公募による)「大江戸線」の命名者の一人だったので、それをアピールしたい気持ちからですね。大江戸線の見所を勝手に応援するという内容でしたが、コラム的なものを書く訓練としての意味合いもあったんですよ。当時、「webやぎの目」の林さんが書くコラムなんかがすごく好きで、ああいう文章が書けるようになったらいいなと思っていまして。

 ただまあ、しばらくやってみて文章を書き続けるのは難しいなと。僕はやっぱり、企画として何かをアウトプットするほうが得意だと実感しました。

―― そうした経験が読者の声をメインコンテンツに据える、「思い出のファミコン」につながっているんですね。

深田 それはありますね! ファミコンについてのサイトは、歴史だったり各ゲームのレビューだったりとすでに色々あったので、そこで差別化して生き残るには、別の切り口で攻めたいというのが最初に思ったことです。

 じゃあ何がいいか、何がやりたいか。そう考えて行き着いたのが、ファミコンで遊んだ当時の共通体験を思い起こさせるような投稿サイトでした。「あー、そうだったよね」「あれ面白かったね!」という思い出を皆で共有できるようなサイトにしようと。

(次のページに続く)

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