システム開発会社に転職したが
「今は社会起業家って言いますけど、自分じゃそんな意識、全然なかったんですよ」
金子さんは当時をそう振り返る。旅行会社が情報不足で困っているくらいなら、もっと欲しい一般人はいるはずだ。これがもしウィキペディアのようなサイトになったら、使う人も増えるだろう。そんな率直な思いが、彼のサイトを作ろうという気持ちにつながった。
自分もまだ若い。今から始めれば間に合うはずだ。そう考えた金子さんは当時の顧客や上司たちに頭を下げ、システム開発系の会社に転職した。技術の基礎を学びたかった。2004年、ミクシィがようやく姿を現した、ソーシャルメディア黎明期だった。
アイデアに自信はあった。ユーザーはこれから増えるという確信があったからだ。日本人で障害者手帳を持っている人はおよそ600万人、75歳以上の後期高齢者は約1300万人以上もいる。彼らの家族も知りたい情報だろう。
会社の上司にその企画を持ち込むと、首はヨコに振られた。「会社で動かすほどのビジネスにはならない。広告はそう甘くない」
だが、そこであきらめたくはない。金子さんは飲み会での付き合いがあったプログラマーやデザイナーの友人たちに声をかけ、ボランティアで活動を開始した。法人化しようと踏ん切りをつけ、「Check a Toilet」の原型を作ったのは2006年の夏だった。
夜は派遣社員、昼はNPO代表
NPOを立ち上げたとはいえ、実際に動けるのは自分一人しかいない。収益も上がっていない。会社を辞めた金子さんは、夜はコールセンターで働き、昼はNPOの活動をするという二重生活を始めた。
そうしていざサービスを作ろうとしたとき、原点に立ち返って自分に尋ねた。そもそもユーザーは、このサイトで何を知りたいんだろうか。
翌日から、東京都23区内の障害者団体、約40施設にアンケートを取って回った。結果は予想よりはるかに複雑なものだった。不自由なのが右半身か左半身かによって、必要な手すりの位置は変わる。電動車椅子の場合は回転の幅が大きいため必要なスペースも広くなる。ただトイレがあるかないかという情報だけでは、ユーザーは満足しない。
そんな膨大な情報量をさばける地図サイトを作れるところはないか。金子さんは、名古屋の有限会社アイラインを見つけ、声をかけた。ついに、サイトの立ち上げだった。
だが、依然としてNPO法人としての収入はなかった。知り合った人たちが1000ヵ所程度を登録してくれたが、情報量も伸び悩んだ。広告を入れてほしいという申し出も、ほとんどの営業先は相手にしてくれなかった。収益ゼロのままサイトを維持していくのは難しいのではないか――金子さんは不安になった。