「テレビマジシャン」が生まれるまで
―― そこでテレビとネットの違いが知りたいのですが、まずマリックさんが「テレビマジシャン」としてデビューするまでの経緯を教えてもらえますか。
マリック 中学一年生のとき、名古屋から転校生が来たんですよ。その子がマジックをしていた子で、なんとテレビに出たこともあった。すると当然のようにモテますよね。「あ、マジックやればモテるのか!」と思って、彼のアシスタントから始めました。
―― 「モテたい」がきっかけだったんですね。
マリック わたしもオクテでしたからね。で、そのまま高校でもマジックは続けていたんですが、卒業後にはガス器具のメーカーに設計士として入ったんです。当時はまだ、マジシャンになるなんて言ったら、旅芸人になるようなものだったので。
―― じゃあ、そのまましばらくガス器具の設計を?
マリック それが研修でいろんな部署を回らされたんですが、プレスの部署だけがダメで。当時はまだ鉄板を手で入れていたんです。ギロチン台に手を入れてるようなもので、「うわ、これはちょっと……」と思って辞表を持っていきました。
―― 手にケガでもしたら、マジックできないですもんね。
マリック そこから名古屋の「オリエンタル中村百貨店」というデパートで、マジックの実演販売をはじめたんです。プロでもアマでもない、マジックディーラーとしての仕事を。14年間くらいはずっとそれをつづけてました。両親には「デパートの面白い仕事」と言って。
―― プロでもアマでもない?
マリック それしかなかったんですよ、当時は。プロのマジシャンになるには、「日本奇術協会」という権威ある団体に入る必要があったんです。でも、知り合いの紹介がないとダメ。もうひとつはキャバレー。エージェントを通して、キャバレーでやる人もいたんです。
―― クラシックに対するジャズみたいなものですか。
マリック そうです。でも、キャバレーではマジックなんて誰も見ていない。飲みに来る人は、お酒があって、女の人がいればいいわけですから。まさに壁の絵でしたよ。
―― しかし、それを聞くと、マジックディーラーからテレビマジシャンへのステップアップは難しそうですけど。
マリック きっかけはユリ・ゲラーでした。それまではマジックの舞台を中継する番組しかなかったんですが、彼はどこの家庭にもあるスプーンを曲げた。それで初めて、テレビの向こう側にいる人を驚かしたんです。怪しい袋から花なりハトなりを出すのとは違う。
―― 驚かせる相手は、お茶の間の人々だったと。
マリック テレビというのは、2メートル先にいるお客にものを言う世界だと言われています。6尺(約1.8メートル)の棚をはさんでモノを売っていた実演販売が、まさに「テレビ」だったんですよ。ただ見せるのではなく、お客とコミュニケーションをとるという。