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渡辺由美子の「誰がためにアニメは生まれる」 第9回

「悪人」が輝いたっていいじゃないか

日本人は「敗北」に感動する 高校野球アニメ「おお振り」の意図 【後編】

2010年11月20日 12時00分更新

文● 渡辺由美子(@watanabe_yumiko

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「青春」という言葉に引いてしまう

―― 「負ける」とか「悪役」とか、結構マイナスの要素に共感されていますね。

水島 どちらかというとそうですね。負けることとか、悪いやつとかに共感するというのは、たぶん自分の性格だと思います。子どもの頃でも、戦隊ものとか、いつも敵側のほうが気になっていましたから。

 ……なんか「善人」っていう言葉、うさんくさくないですか。「善人」とか言って、内心はどう思っているんだろう。実はやましい気持ちや、打算的な考えだってあるんじゃないの? とか思いますよ。もし「善人」っていう人があらわれたら、100%信じますか?(笑) 私なら、信じたい気持ちがないことはないけど、やっぱり信じない。

 それと、「青春」という言葉を自分では使わないんですよ。個人的にはちょっと引いてしまうところがあって。


―― 「おお振り」の監督が、「青春」という言葉に引いてしまう?

水島 誤解しないでほしいのは、高校時代とか10代の子がキラキラしているというのは、ものすごく、ほんとにもう痛いくらい感じるんですよ。でもそこに「青春」という言葉を入れた段階で、個人的にはちょっと引いてしまうところがあります。青春というなんだか実態のよくわからない言葉に、商業(ビジネス)っぽい匂いを感じてしまうんですよ。もしくは、他者からの押しつけがましさとか。「高校生はこうあれ」みたいに、おっさんが言っているような。

 高校野球も、あれみんな坊主頭ですよね。「みんな坊主」を強制するみたいなのが引いちゃうのかな。「いいじゃん、ロン毛の高校球児がいたってー」と、僕は個人的には思うんですけどね。高校生が坊主にして3年間というのは、抵抗がある子もいるんじゃないかと。それが嫌で野球をやらない子がいる気もする。もしかしたら、そんな理由で実はイチロークラスの逸材が野球をしていないのかもと思うともったいない。オッサンの思う「善なる若者像」みたいな鋳型に、若い子を入れてほしくないなあと思いますね。オッサンにとって都合がいいだけの存在になってしまいそうで。


高校生にジェラシーを感じる

水島 でも、「青春」という言葉を使わないというだけで、若い子を否定しているのではないんですよ。高校生は大好きですね。高校生に対してはもうヤキモチしかないですから。

―― ヤキモチ?

水島 「おお振り」を作るために2つの高校に取材をさせてもらいました。浦和西高校(埼玉県立浦和西高等学校)と、法政二高(法政大学第二高等学校)です。ジェラシーで頭がどうにかなりそうでしたよ、本当に。だって、彼らの一挙手一投足、すべてが輝いているから。悔しくてしょうがない。


―― 悔しい。それは今、自分が高校生に戻って、ああいうふうになりたいという感じですか。

水島 そういうことじゃなく、「若いってうらやましい」ということです。何であんなに輝いているんだろう。しかも、それを当の本人たちでは自覚してないところがまたいいんですよ。なぜ輝いているのか、実は僕にもわからない。でも、一つのことを一途になってやっているというのはあるでしょうね。あの頃って、何かにはまるととことんやりますからね。

 法政二高の吹奏楽部には、応援団のブラスバンドの演奏を録らせてもらいました。すごいなと思ったのは、先生に叱られた次の瞬間から音がぐっと良くなったことです。吹奏楽部の子たちが演奏していて、そうしたら突然、先生が前に出てきて「お前らな、負けているチームがグラウンドでお前らの演奏を聞いて、よし頑張ろうって気になるのかよ」なんて怒って。そうしたら、突然音が変わりましたね。

―― 監督やスタッフも見ている前で、先生は怒ったんですか。

水島 はい、僕らも見ている中で。演奏がちょっとでもたるんでいると。高校野球でそんな応援をするのかみたいな感じの熱い怒り方を先生がしたら、もう音がいきなり変わりましたね。その変わった演奏も素晴らしいし、そうやってちゃんと直すという素直さも、両方素晴らしいという。


(次のページに続く)

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