このページの本文へ

「内面化」に向かうWebの課題と解決案 (2/3)

2010年09月03日 10時00分更新

文●長谷川恭久

  • この記事をはてなブックマークに追加
本文印刷

人々のニーズを追い求めた先にあった閉鎖感

 Webの黎明期から携わっている人であれば、ティム・バーナーズ=リーの思想やインターネットの可能性に感銘した方は少なくないだろう。「どこでも誰でも Web アクセスができる」という考えも、Webの可能性を示す重要なメッセージだ。データをより小さく、持ち運びやすく、そして繋がりやすくなったことで、Web は今まで以上に誰でもアクセスしやすい環境へと変化している。

 誰でもアクセスできる Web に関わるもうひとつの可能性を、再びティム・バーナーズ=リーの引用から考えていくとしよう。

「重要なことは、Webにおける多様性だ (The important thing is the diversity available on the Web.)」
「あらゆることが民主的に決まる世界観がWebに反映されるべきだろう (We could say we want the Web to reflect a vision of the world where everything is done democratically.)」

 情報発信の術を持たなかった人々が自分の声を持てるWebを通して、今まで知りえなかった新たな視点や意見を得られる。特定の企業や著名人ではなく、ひとりひとりがWebを動かす原動力になる。トップダウンだけでなく、ボトムアップが社会を動かす原動力になる――。そんなメッセージをティム・バーナーズ=リーの言葉から読み取れる。

 HTMLやサーバーの設定など専門知識が必要とされていた従来のWebから、携帯電話があればWebサービスを通じて世界中に情報発信できる。しかも、テキスト情報だけでなく画像や映像も技術的な仕様を気にすることなく Webで公開できる。電波塔も要らなければ、数十万・数百万円かけて機材を揃える必要もない。必要なのは、手のひらに収まる携帯電話とちょっとしたアイデアや勇気だけだ。

赤十字がハイチ大地震の募金活動にソーシャルメディアを利用。2日間で300万ドルを集めた
赤十字がハイチ大地震の募金活動にソーシャルメディアを利用。2日間で300万ドルを集めたhttp://edition.cnn.com/2010/TECH/01/15/online.donations.haiti/

 誰もが情報発信者となり情報が行き交いする量が増えたことで、社会や文化に影響を及ぼした例も少なくない。2010年1月に発生したハイチ大地震もひとつのよい例だろう。テレビ・ラジオをはじめとした放送メディアも発生当時から現地の様子を詳細に報道していたが、被害者や現場で救助活動をしている人々が自ら発信する、生の声を聞く機会が増えたからこそ、募金や救助のためのアイデアが生まれる活動へ繋がった。また、報道が下火になった数か月後でも、被害者向け施設を建てるためにソーシャルネットワークが利用されたり、専用のWebアプリケーションが開発されたり、Webならではの可能性を示した。

 テクノロジーは利活用できると同時に悪用するための道具として使われることもある。時には『Webの闇』が大きく取りざたされることがあるものの、今でもWebを利用する人が増えて続けているのは、誰でも必要な情報にアクセスできるという利便性と自ら情報発信ができる伝達力があるからだ。理想論かもしれないが、Webの伝達力は現実的なものになっているだけでなく、助長する技術、デバイス、サービスは増え続けている。

「どこでも誰でもWebにアクセスできる」
「多様性がある Web」

 Webを語るにおいて、これら2つの要素は相反する関係にあると捉えることができる。どこからでも自分の好む情報を得ることが当たり前になった人々には、多様性が見え難い環境になりつつある。

 たとえばTwitterを見てみるとしよう。Twitterのユーザーは世界中に存在し、さまざまな背景をもった人々の声がタイムライン上に流れている。しかし、Twitter を利用する私たちのタイムラインからは多様性を感じられる情報に出会う機会は少ない。私たちは自分の趣向に合った人たちをフォローし、自分にとって意味があると考える情報のみをタイムライン上に流している。自分の合わないと思えばすぐに削ぎ落とせるし、リストを作ってさらに自分の用途に合った情報の流れを作り出せる。次第に外からの情報もTwitterに流れているもので有益かどうか判断するようになり、タイムラインに入ってこない情報はないものとして捉えるようになるだろう。

 こうした自分趣向の情報の集まり方が当たり前になると多様性はなくなり、単一性の強いWebになる可能性がある。当然こうした情報の流れのパーソナル化はTwitterだけでなく、現在さまざまな場所で起こっている。もともとWebブラウジングにしても自分の趣向で操作できる。自分が気に入らないと思えば、Webブラウザーの「戻る」ボタンを押せば回避できるし、自分の好きなものをお気に入りに入れて、お気に入りだけ見ていてもいい。もともと自分の趣向に合わせて操作ができたWeb体験が、 TwitterやFacebookのようなサービスを通じて助長されている。

Web だけでなく従来のメディアも個人化へと進んでおり、中にはパーソナライズされているものもでてきている
Web だけでなく従来のメディアも個人化へと進んでおり、中にはパーソナライズされているものもでてきている。詳しくは「メディアの消費の仕方の進化」を参照 http://www.yasuhisa.com/could/article/evolution-of-media-cunsumption/

 「ソーシャルメディア」という言葉が流行り出す前に、情報の取得方法は急激に個人化しはじめている。文字、映像、音声とさまざまなメディア媒体が存在するが、共通しているのは、テクノロジーが発展していくにつれて徐々にパーソナルな体験へ移行しているという点だ。たとえば数十年前であれば1台のテレビに家族が集まって視聴していたが、安値で小型なテレビが登場するようになり、一家に1台どころか一部屋に1台になるほどにまで普及した。そして今は携帯機器にテレビが実装されているので、書籍と同じように場所を選ぶことなくひとりの時間でも自由にメディアを楽しめるようになった。つまり、メディア / コンテンツの楽しみ方は個人的な体験になってきている。

 情報を消費するためのデバイスが個人へと移行したと共に、取得している情報も個人の趣向に合った「自分にとって気持ちがよい」情報(データ)になっている。Webには「共有」という今までにない側面があるものの、その共有相手が自分の趣向にあった「フレンド」「フォロワー」だけに留まっているのであれば多様性を生むほどの広がりには限界がある。Webという技術自体は多様性がありオープンではあるが、それを利用する人々は次第に閉鎖的で広がりのない方向へと進んでいる。すぐそこにはWebらしい多様性のある世界が広がっていても、私たち個人の世界にまで流れ着かない状態になっている。自分にとって都合のいい情報のみ得れるようになれば、合わない情報への拒否反応が強くなることもある。Webという広大な世界にいるものの、個人の世界へ閉じた「内面化」が進んでいるのではないだろうか。

Web Professionalトップへ

この記事の編集者は以下の記事をオススメしています