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アツ過ぎる! サンフェスの開催前夜祭「イデオンナイト!」

2010年08月18日 20時30分更新

文● 電撃ホビーマガジン/吉川 大郎

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自分が半分発狂するだろうなということだけは自覚していました
(富野由悠季氏)

――司会の藤津亮太氏(以下藤津氏)に、イデオンについて問われて――

福井晴敏氏:イデオンと、その前のガンダム(「機動戦士ガンダム」)もそうですが、ガンダムだったら“ニュータイプ”、イデオンだったら“イデ”※1という、人間ではない、人間を超えているらしい存在があったときに、(相対的に)人間全体が浮かび上がってくるんです。

 つまり、人を描いたドラマはいっぱいありましたが、人(人の総体としての人類)という“原存在”そのものまで照らし出す作品は、おそらくそれまでなかった。『2001年宇宙の旅』など、SFの文脈ではあったのですが、映画でお楽しみをさせながら見せることができる作品は、ありませんでした。

 人類とイデの両方を浮かび上がらせることによって、人間とは何か、人間が智恵を得て、何かを得ていく果てにあるものは何か? それがイデであるという……。言葉で言えばそれだけのことかもしれません。が、恐ろしいことで、これをやられてしまったら、この先“劇作”って、これ以上やることがないんです。

 ガンダムでは、可能性が見えた。『機動戦士ガンダムIII めぐりあい宇宙(そら)編』が上映されたのが1981年3月。そして同年7月にはイデオンの劇場版が公開ですから、可能性が示されて、わずか4ヵ月で究極系にいきなり辿り着いてしまった。自分がこういう立場で発言するのは、ヤバイと思うのですが、イデオン以来、イデオンを超えるモノって見たことがない。(会場拍手)

 そう感じていらっしゃる方も多いと思いますが、それはある種、誰も気がつかなかった扉を開けちゃったということです。その扉が開いた瞬間をリアルタイムで見せられちゃったことで、変わってしまった人生があるとしたなら、素直に喜んでいいレベルではない。もしイデオンがなかったら、もう少し別の動きがあったよな。別の人生があったんじゃないかという、それくらいデカいものでしたよね。

※1イデ……作品を通して語られる、大いなる“何か”。神かもしれないし、違うかもしれない。その判断は、観た人に委ねられており、こうした「考えさせられる」作品であることが、本作の魅力になっている。


――福井氏はまた、イデオンについてイベント後半にも以下のような発言をしている――

 藤津氏の発動編で一番好きなシーンは?という問いから

福井氏:うーん、あれは電波ですからね。トータルで受信する感じのもので。(会場笑い)。
 俺、あまりの衝撃で自分が何を観たのかわからなくて。2番館、3番館落ちした劇場まで行って、あの夏で5回観ているんですよ。今は無くなってしまいましたが、八重洲口の、普段はポルノとかをかけていたであろう映画館でも、イデオンをやっていることを見つけて行ったんです。そうしたら、(劇場版のイデオン自体が)接触編・発動編の二本立てなのに、さらにもう一本かけていたんですね。イデオンは(二本合わせて)一本という計算だったんでしょう。で、もう一本かかっていたのがブッシュマン。(会場大笑い)。
 コーラの瓶を返しに行くおじさんの話の後にイデオン……。なんかね、人類の始まりと終わりを同時に観られちゃったみたいなね。

 そういう場所だから、営業をサボったサラリーマンが寝ようと思って来ているんですけれども、あのフィルムは寝させないわけですよ。イデオンが終わった瞬間の、あの人達の「どういう顔で劇場を出て行ったらいいのか分からない」という感じの空気をね、今でも鮮明に覚えていますね。

藤津氏:富野監督としては神様を中心に据えようと?

富野由悠季監督(以下富野監督):それほど具体的なものはありませんでしたが、作っている時からひとつだけ気がついたことは、自分が、半分発狂するだろうなということだけは自覚していました。

 そこで、俗に言う、劇を作る上での禁じ手を使ってしまった、というところに行きました。本当に自覚したうえで、ストレートに禁じ手を出していったときにどうなるかというと、どちらにしても物語が終わらなくなるということがあったので、最後にそれこそ、幽霊の大行進に落としたのです。

 あれはおそらく、自分が発狂寸前にいたレベルからは、2、3歩手を緩めたのです。手を緩めたところで、映画興行を考えたときに、妥協したな、という自覚もありました。そこまでの経験をした結果が、僕にとってはその後の30年です。

 つまり、今日現在まで、僕が“仕事をしていない”という人生を自覚するようになってしまったという意味では、かなり損をしたという部分もありますが、作品というのはあのレベルまでやらないと作ったというところにもいけないということがあります。ですから僕の作品を気にしていらっしゃる方は、その後の僕のキャリアを見ればお分かりになるとおりで、こういう風になるしかなかったということです。

 そういう意味では、絶対にイデオンに触ってはいけないという部分は、こういう席で言っておきたい。
 ただ、ひとつだけありがたいのは、30年近く時間が経ったときに、お互いに批判し、批判するだけではなくて客観的に見ることができるだけでも、イデオンの渦中に入らなくて済んでいる。

 そして何よりも、もうひとつ重要なことがあります。アニメであったために助かっているという部分がある。もしこれをアニメではない形で作ったらどうなっていたかというと、かなり危険な作品になっていたのではないかという実感もありますので、ほどよいところで納めたという風に、この30年間思い続ける努力はしています。

 ただ、個人で本当に困っていることがあるのは、今言った感触がありますので、イデオンを超えられない自分というものを、死ぬまで抱え込まなくてはいけないという意味では、多少辛いなと言うことはあります。本当はもう一歩踏み込みたかったという部分は、これをやっても絶対評価されないということも分かっているので、そこには行けないと思っていますし、自分の能力も、気が狂うところまで行くのは正直怖いです。

 ですので、申し訳ないけれども普通に死んでいきたいとも思っていますので、このくらいのところで勘弁していただきたいというのが、現在の心境です。

藤津氏:当時、ヘンな蓋が開いて、歯止めがきかなくなりそうだという感じはあったのですか?

富野監督:あったでしょうね。ただ、ありがたかったことは、俗世……つまり映画興行をしかけるという枷があったおかげで狂わないで済んだということがあります。僕自身も勇気のある人間ではありませんので、狂いたくなかったということもあって、映画的なことを言えば2時間以内に収めろよという条件に妥協していくということを、妥協ととらえませんでした。自分が狂わないための歯止めになるものだという理解をすることで、積極的に受け入れたということがあります。

 そこで実を言うと、能力が問われるのです。2001年(2001年宇宙の旅)を超えたかったんだけれども、ひょっとしたら超えられなかったという悔しさもあるし、アニメだから2001年を超えたはずなんだけれども、誰も評価してくれないということも実感しているし。

 あと5年か10年、20~30年経ったら、イデオンという作品の評価は、また改めて立ち上がってくるのではないかという自惚れもあります。この自惚れこそまさに年寄りで、こういうものがないと、楽に死んでいけないので、このくらいの自惚れは持たせてください(笑)。

藤津氏:湖川さんは、ストーリーについて感想や意見を持ちながら仕事をしていましたか?

湖川友謙氏(以下湖川氏):ないですよ。(会場笑い)

藤津氏:では富野監督のやることを信じてついていった?

湖川氏:それはそうですよ。お富さん(富野監督)の元にいるわけだから。今お富さんが言った2001年(宇宙の旅)ですが、僕はアニメだから勝っていると思うんですよ。アニメの世界でそんなものを作ったというのは、あり得ないはずだから。富野さんは天才なんですよ。

 僕は彼の動きを感じるんですよね。彼の動きを見ていると、何となく分かる。彼の気分を考えながら、キャラクターも作るし作画もする。意外とお富さんというのは、コンテの中(の絵)でイメージが出てこないんですよね。それは(私が)自分勝手に、お富さんのわけのわからない(絵コンテに描かれた)丸で判断するんですけれども、そういう気分が分からないと、彼と仕事はできないんですよ。(富野監督は)具体的だし、ものすごい抽象的だし、気分の会話をするときもある。他の監督にはないですよ。

(次ページへ続く)

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