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四本淑三の「ミュージック・ギークス!」 第30回

「ミュージシャンは積極的配信を」 七尾旅人が語る

2010年07月17日 12時00分更新

文● 四本淑三

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ネットはあらゆる契機が失われてしまった後の最後のチャンス

―― ところで旅人さん自身がコンピューターやインターネットに関心を持たれたのは、どういう理由ですか?

七尾 俺にとってのインターネットは、あらゆる契機が失われてしまった後で手にすることができた最後のチャンスだったんです。16歳で高校を辞めて高知から上京して、19歳でデビューしたんですが、セカンドアルバムの製作中に突然に契約終了を言い渡されて。

1st、2nd : デビュー作は1998年のマキシシングル「オモヒデ オーヴァ ドライヴ」。翌1999年にファーストアルバム「雨に撃たえば…! disc2」をソニー・ミュージックアソシエイテッドレコーズ からリリース(Amazon.co.jpのCDジャーナルの解説はナンセンスすぎて笑える)

オモヒデ オーヴァ ドライヴ

―― そのころは業界が急にかたむきはじめた時期ですよね。

七尾 レコード会社も岐路に立っていたと思うんです。その中で枚数的な結果を出してこない、マーケティングしづらいミュージシャンから順に切っていくのは当然のことで。でも、アルバムは8割以上出来ていたので制作も活動も続けたかった。ただ、上京して10代のうちにメジャーデビューしたので、インディーズシーンに根ざした方法も取れなかったんですね。

―― それでインターネットに着目したということですか?

七尾 ただパソコンもろくに使えないし、3年くらい途方にくれていたんです。でも、サイトを作ってくれた方がいて、そこから活動を立てなおしてきたんですね。それで日々の活動を細かく伝えたり、ライブの集客も出来るようになった。

セカンドアルバム : 「ヘヴンリィ・パンク:アダージョ」。2002年にインディーレーベルのWONDERGROUND MUSICからリリース

ヘヴンリィ・パンク:アダージョ

―― メジャーとインディーで作品の作り方は変わりましたか?

七尾 俺自身は何も変わっていないですね。もともと誰の言うことも聞かずにやってきたから、クビになったと思うんですけど。しきりに3枚組を出したがったり、しかも同業者や批評家が嫌がりそうなことを目いっぱい詰め込むという。作っているそばから、いろんな人に批判されてしんどかったですよ。「なんで音楽でそんなことをするんだ」って。

―― 「911 Fantasia」は確かにいろんな意味で勇気があるなと思いましたね。

七尾 少年時代の自分が見た90年代というのは、震災からオウム事件から、どれも日本が崩壊して壊れてゆく光景だった。そしてとどめのようにして9.11以降、世界は戦時下に突入します。その前で歌手として新しく歌うべき言葉が持てなかったんです。だからファーストアルバム以来、歌詞、歌唱法、サウンド、あらゆる面で試行錯誤しました。音楽に関わりたければ、ゼロから何かを作り直さなければならないと。強い焦りがありました。そんな20代の最終着地点として「911FANTASIA」があったんですが、その後、ふっと解き放たれたようになって。

―― 今回のアルバムになったと。

七尾 以前は、自分に様々な制約を課して曲を作ってきたんですが、今作は日々のライブから自然に出てきたものを盤におさめた感じです。それが一番の変化かもしれません。

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