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渡辺由美子の「誰がためにアニメは生まれる」第2回

つながる世界、アニメで描く 「ソ・ラ・ノ・ヲ・ト」監督に聞く【後編】

2010年07月24日 12時00分更新

文● 渡辺由美子

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人から人へと伝えていく

―― 監督ご自身は、「伝えること」にはどのような意義があるとお考えですか。

神戸 ちょっと飛躍してしまうかもしれないんですけど、「次の世代に残していくこと」だと思っています。子孫を残すこともそうですし、次の世代に自分たちの経験したことを伝えるというのもそうですよね。

 たとえば僕の場合、自分たちの親が子どもの頃に戦争を経験しているんですが、もし自分に子供がいたら、おじいちゃんはこうだったみたいな話をすると思うんです。次の世代に伝えていく方法はいろいろあって、祭りとか伝承といったものもそうだと思います。

 ソ・ラ・ノ・ヲ・トでも「水かけ祭り」というのを出してみたんですが、過去に実際にあったことを再現する祭りというのは世界中に点在してるらしいんです。そうやってお祭りを毎年続けることで、人が子供から親になって年寄りになるまでずっと見ていく。そうして繰り返すことで、過去にあったことが次の世代に伝わっていくという。

「水かけ祭り」について

 カナタが赴任した日、セーズの街では「水かけ祭り」が行なわれていた。その昔、セーズを襲った悪魔から、5人の乙女たちが身を挺して街を護ったという言い伝えがあり、祭りは、乙女たちの鎮魂の意味で行なわれていたのだった。

神戸 劇中で出したのは架空のお祭りなんですが、一応、東南アジアには似たようなお祭りと伝承が実際にあるんですね。乙女が炎の中で悪魔の首を抱いている、というところはほぼ同じなんです。

―― 興味深かったのは、セーズに伝わる「炎の乙女」伝説の話は、敵国(正統ローマ帝国)には違う形で伝えられていたことでした。炎の乙女が死んでしまったのは、悪魔のせいではなかったという。

神戸 あれは美談にすり替わっていたんですね。悪魔(帝国の伝承では天使)は瀕死の状態できて、乙女たちはもうじき死んでしまうのなら、このまま安らかに逝かせてあげようとしていた。けれど街の人々は、悪魔が怖いから、乙女たちも一緒に殺してしまった。乙女たちに申し訳ないことをしたという贖罪の気持ちがあるから、美談に切り替えたということなんです。だからお祭りもずっと続けているんですけど。

 伝える者たちが自分たちの都合のいいように変えていってしまったということです。

―― 伝わる過程で、変わってしまうことがあると。それは物語でなくても、実際にも起こっていると考られますね。

神戸 過去から伝わってきたものの多くは、伝える側のバイアスがかかっていたり、自分たちの都合が優先してますよね、きっと。そうでないと、国によって歴史解釈が違うということはありえないわけで。

 「事実が伝わらないこと」って、僕たちの身近にもあると思うんです。意図的に事実をねじまげたわけじゃなくても、対象との距離の遠さ……物理的に遠かったり、年月の遠さが原因で伝わらないということもある。

 こういうことを考えたきっかけの1つはアラスカにいる知人の話なんです。彼が日本に帰ってきたときには時々会うんですけど、あるとき何気なく、温暖化の影響って出ていますか、と聞いたことがあって。そうしたら、目に見える形で存在すると言っていました。

 アラスカの地面というのが砂らしいんです、基本的に。砂が固まることで地盤が固まっていて、それが溶けてきていると。地面が崩れるとか、場所によっては海岸線が迫ってきてしまって、人が住めなくなっているところも実際に出てきているということでした。

 ソ・ラ・ノ・ヲ・トでも、「今、目に見えているものだけが現実ではない」といったところが、自分なりのテーマとしてはあったんですね。

―― 今、目に見えているものだけが現実ではない?

神戸 ものごとには必ず、自分たちの側からは見えていない部分がある。たとえばアラスカの現状だって、日本にいるだけではわからないですよね。同じ地球上で起こっていることにもかかわらず。

 劇中でも、カナタたちは、敵国の女の子から話を聞くまで、自分たちの国がどう思われているのかわからなかったという描き方をしました。伝えていくこと、そこには誤解も生じること。作品ではそういったところもテーマとして取り上げていこうと思いました。

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