アメリカで番組を作っていた「プロ」だった
―― まずはCWDを始めたきっかけを教えてください。
プロデューサー 私は2003年から4年間、ロサンゼルスでドラマやテレビ番組などの映像に携わる仕事をしていました。そこで稼げるようになりたいと思っていたんですが、ビザの関係で道半ばにしてアメリカから離れなければならなくなったんですよ。
それで最初はインドに行って、3ヵ月ほどHDカメラで映像を録りためる生活をしていました。「ストックフッテージ」といって、手持ちの映像を制作会社に売るというビジネスでした。
ですが、これが全然お金にならなくて(笑)。それから日本に帰ったのが2007年7月頃です。ここでようやく以前から温めていた「YouTubeで日本食の料理番組を作る」という企画を本格的に始めることにしたんです。映像関連の仕事を探すのと並行して。
―― 「本職」として計画を練ったわけですね。YouTubeで番組を制作するという発想はいつ生まれたんですか?
プロデューサー 2006年秋にグーグルがYouTubeを買収するという噂が流れたんですよ。すぐ後に16億5000万ドルで買収したとCNNが報じたのを見て、衝撃が走りました。
当時は「そんなことしてビジネス的に意味があるのか」という意見が多かったですが、私はグーグルが何をやりたいのか分かったんです。テキストで広告を出していたグーグルが、今度は動画でも同じことをするんだろうと。
だから、YouTubeで面白い動画を配信してアクセスを稼ぐようになれば、かなりの広告収入が入るようになるわけです。うまくいけば、制作会社で低収入でコキ使われる現状から抜け出せると(笑)。
もう、その日は眠れませんでしたね。実際、2007年にはアメリカの一部の動画には広告がつくようになりました。今ではYouTubeの広告収入だけで食べている人があちらではすごくたくさんいるんですよ。
―― 「日本食の料理番組」を作るというのは?
プロデューサー 料理番組については、日系のプロダクションで毎週土曜日に30分番組を作っていたんです。その中で、料理番組をやる機会もありまして。そこでノウハウを学んでいたというのがあります。
日本料理については、当時のロサンゼルスでは日本食ブームがすごかったんです。それを目の当たりにしていたのが大きいですね。毎日のように日本食レストランができた。番組で日本食関係の貿易会社の社長に取材したときも、本当に活気のある感じで。
「毎年売り上げが伸びていて、倉庫がどんどん大きくなっていって……」という。私も日本人ですし、日本食に関する情報を外に向けて発信したら人気が出るし嬉しいなというのがありました。
―― なるほど。では、やると決めたときにはかなり具体的な構成が固まっていた感じですね。
プロデューサー いえ、「日本の料理で何かできたらいいね」というのはあったんですが、最初は街中を歩いている人にインタビューして「今日のおかずを見せてよ」みたいな企画を考えたりしました。
でも、それを続けるとなると、オーケーしてくれる人を見つけるのも大変です。それにすぐに無理が来るじゃないですか。だから、自分の守備範囲でできることをやろうとなりました。「近くにあるもの、手の届く範囲にあるもの」と考えたときに、渡米する前から料理が得意な「シェフ」を知っていたんですね。なので、彼女に料理を作ってもらおうということになったんです。
そこからシェフと話し合って、現在のような構成を固めていったという感じです。料理だったらネタ切れすることなく続けられます。撮影場所も彼女の台所を使わせてもらえばいいわけですし。
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