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コミカルでBL!? ドラマチックさ重視で11の短編を集めた傑作集

美少年すぎるメロスが走る!「走れメロス 太宰治 名作選」

2010年04月29日 00時00分更新

文● 第9編集部 タジマ

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今で言うボーイズラブ!?
ユダ×キリスト「駈込み訴え」

  申し上げます。申し上げます。
  旦那さま。あの人は、酷い。酷い。
  はい。厭(いや)な奴です。悪い人です。
  ああ。我慢ならない。生かして置けねえ。(「駈込み訴え」より)

 「駈込み訴え」は、ユダが、キリストへの愛ゆえの憎しみと裏切りを、密告相手に訴える、という体裁を取っている物語。

 相手が同性とはいえ、ユダのキリストへのプラトニックな片思いには胸がうたれる。

  あの人は嘘つきだ。
  言うこと言うこと、一から十まででたらめだ。私はてんで信じていない。
  けれども私は、あの人の美しさだけは信じている。
  あんな美しい人はこの世にない。
  私はあの人の美しさを、純粋に愛している。それだけだ。(「駈込み訴え」より)

(C)Osamu Dazai (C)Kaori Fujita/春の海辺で会話するキリストとユダ。キリストがユダに、心をひらいて優しいねぎらいの言葉をかけたのは、この一度のみ

 マグダラのマリヤが登場することで、キリストの、マリヤへの並々ならぬ感情に気づき、ユダは嫉妬に苦しむ。

(C)Osamu Dazai (C)Kaori Fujita/香油をキリストにかけて、濡れたキリストの足を自分の長い髪でぬぐうマリヤ

  その時、あの人の声に、また、あの人の瞳の色に、いままでかつてなかった程の異様なものが感じられ、私は瞬時戸惑いして、更にあの人の幽(かす)かに赤らんだ頬と、うすく涙に潤(うる)んでいる瞳とを、つくづく見直し、はッと思い当ることがありました。
  ああ、いまわしい、口に出すさえ無念至極(むねんしごく)のことであります。
  あの人は、こんな貧しい百姓女に恋、ではないが、まさか、そんな事は絶対にないのですが、でも、危い、それに似たあやしい感情を抱いたのではないか?(「駈込み訴え」より)

(C)Osamu Dazai (C)Kaori Fujita/美しいマリヤ。ユダは二人に嫉妬し、さらに追いつめられていく

 ユダの、キリストへの憧れ・嫉妬・愛情が、やがては殺意に転じていく。

 結末は周知のとおり、ユダがキリストを売るのだが、それを知っていても、太宰の人間を分析しつくした繊細な心理描写には驚かされる。

 この「駈込み訴え」でのユダの心理描写は、あくまで太宰の想像でしかない。

 しかし、太宰の死後、1970年代に「ユダの福音書」が発見され、そこにあるユダ像と、太宰が「駈込み訴え」で描いたユダ像とが、多く重なっていたことがわかった。

 太宰の分析力や人間洞察の鋭さがうかがえるエピソードだ。

 なお、この作品は、前述しているとおり、改行がほとんどないので一見すると読みづらそうだが、文体が口語調のためするりと読める。

 それもそのはず、「駈込み訴え」は太宰が一度語っただけのものを、妻に書き取らせた、口述筆記の作品なのだ。驚くべき才能である。

 ちなみに余談ではあるが、「駈込み訴え」の同人誌も存在するようだ。女性読者には、ボーイズラブ的な物語としても楽しめるのかもしれない。(ユダ×キリストではなく、キリスト×ユダという主張があってもいい)

 本書に掲載されている「畜犬談」「駈込み訴え」以外の作品も濃く、どのように濃いかを詳しく紹介したいが、今回はここまでとしよう。

 太宰好きにも、そうでない方にも読んでいただきたい太宰本だ。

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