20年の波
では、新しいアプリケーションを作るとして、どのようなアーキテクチャーで開発するか。ここでは、技術のトレンドをおさえることが重要だと考えています。コンピュータの歴史を紐解いてみると、世界最初のコンピュータと言われるENIACが生まれたのは1946年。しかし、いわゆるメインフレームとして、一般の企業で使われるようになるのは、1970年頃です。例えば、日本におけるコンピュータ利用先進企業の一社、野村證券で、メインフレームを利用した第一次総合オンラインが稼働したのが、1970年です。
この1970年頃から1990年頃まではメインフレームの時代と言えます。まだコンピューティングパワーは希少で、とにかく高価でした。また、通信環境も今と比べると極めて限られていました。このため、希少なリソースであるメインフレームを中央に置き、非常に細い回線(2.4kbpsや9.6kbps)でダム端末を接続するというアーキテクチャーを取らざるを得なかったわけです。
これに対し、1990年頃からEUC(エンド・ユーザー・コンピューティング)という流れが主流になってきます(これも一種のバズワードですね、最近まったく耳にしません)。この時代は、UNIXやPCのコンピューティングパワーが目覚ましく成長しました。一方で、通信環境はまだまだでしたから、ローカルに置いて使うアーキテクチャーが主流となりました。この流れの中で、PCが急速に普及し、マイクロソフトやそして弥生といったPCソフトウェアベンダーも急速に成長を遂げました。
そして2010年。コンピューティングパワーの成長はまだまだ続いています。さらに、通信回線ももう必要十分なのではというレベルにまで進化してきました。一般家庭でも光ファイバーで100Mbps接続されているケースも決して珍しくありません。こうなると、リソースを中央に置くか、ローカルに置くかという選択肢が生まれることになり、中央のメリットが再び日の光を浴びます。リソースを共用することの効率性であったり、運用管理の容易性であったり。ただ、ユーザーはローカルの利便性に慣れていますから、単純に中央に戻って多少の不便は我慢せよ、は通用しません。結果として、主に運用とコスト面での中央の良さと、利便性という意味でのローカルの良さを組み合わせたアーキテクチャーになると考えています。
こうやって振返ってみると、大体20年程度で大きな技術の波が動いている、そして今から約20年近くは、クラウドを中心に、ローカルの良さを組み合わせたアーキテクチャーが主流になると考えることができます。中央⇒ローカル⇒(ローカルの良さを活かした)中央といった発展の過程は、弁証法で有名なヘーゲルの「螺旋的発展」の典型例と言えます。
さて、ようやく新しいアプリケーションをSaaSとして開発するというところでスペースが尽きてしまいました。次回は、なぜWindows Azureなのか、そして既存の弥生シリーズと弥生SaaSをどのように成長させようと考えているかを、お話しさせて頂きたいと考えています。
岡本浩一郎
1969年3月、横浜生まれの横浜育ち。
野村総合研究所、ボストン コンサルティング グループを経て、2000年6月にコンサルティング会社リアルソリューションズを起業。
2008年4月、弥生株式会社 代表取締役社長に就任。「かんたん、やさしい」そして「あんしん」な弥生シリーズを広めるべく、全国行脚中。
ブログは弥生社長の愚直な実践。Twitterはkayokamoto。
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