自民党政権が解決すると約束した年金問題、民主党政権に代わったがまだ解決の道筋さえ見えない。国会やメディアで散々糾弾された社会保険庁に一義的な責任があることは確かだが、果たしてその原因は社会保険庁だけにあったのか。我々システムに携わる者としては年金の制度問題とは別に年金システムの構築や運用の視点から問題はなかったか興味がある。そこでこの問題を調査した総務庁の「検証報告書」をベースに研究された“情報システム学会・年金記録管理システム問題検討プロジェクトチーム”の有志を訪ねた。はたしてそこで我々は新しいタイプの問題を発見したのである。
今回お話をおうかがいしたみなさん
日本のコンピューターには草創期から関わり、深い知見をお持ちのお三方。情報システム学会のメンバーではあるが、今回はあくまでも個人として参加していただいた。
聞き手
年金が消えた原因は社保庁だけにあるのか
――本日はお忙しい所お集まりいただき有難うございます。消えた年金問題は民主党政権になってあまりメディアは騒がなくなりました。しかし依然として何も解決していないのが実情のようです。皆さんの見解を交えながら、そのあたりから話を進めていきたいと思います。
杉野氏:本日は年金問題に関して、巷に言われている社保庁の問題だけを取り上げるのではなくて、年金システムの構築、運用等の場面や、システムの構築・運用を担当したシステムインテグレーター(以下SIr)の間の様々な段階のありようを見て、今後のトラブルの再発を防止できるような提言をする、そういう話にしたいと思います。
――日本のコンピュータ業界を少しでも知っている人だったら、別にその人たちだけが問題という話ではなくて、もっと構造的な問題や、慣習的な問題、情報システム学にも関係する問題だと感じています。よろしくお願いします。
政井:私は、官公庁のITシステムに関しては、アウトソーシングという視点から見たときには第2、第3の年金問題のようなトラブルが出てくる可能性が、ものすごく高いと思っています。
芳賀氏:実際に大手のコンピュータメーカーのシステム部門、ソフトウェア部門などの人たちは、官公庁は主体的にはシステム開発や運用を全てやりきることはできないと考えています。また官公庁にはシステム部門を持っているところも、いないところもあります。コンピュータメーカーのソフトウェア部隊は、自分たちが責任を持って仕様を決めてやっていかない限りは、いいものはできないという自覚を持ってきています。
政井:それはそうなのですが、実際に末端までそれが浸透して、そういう考え方で現場でほんとに動いているんですか。
芳賀氏:官公庁の能力が乏しいというのが、現場の第一線の人たちの実感です。それはもちろん、役人はどんどん入れ替わりますから、人事異動の問題も原因です。それからシステム自体が複雑化したという状況もあります。メインフレームの時代は、まだなんとかなりました。ところがマルチベンダー化してダウンサイジングを行なったらさらに分からなくなった。だから自分たちが一所懸命やらなくちゃいけない。こういう認識を現実に持ってきています。
政井氏:それは今回の社会保険庁のシステム担当SIrにも言えることですか?
芳賀氏:一般的にということです。官公庁は一般的にそういう傾向があります。それはまったくその通りだと思いますね。そして、まさに社会保険庁もそうだった。
年金のシステム構築や運用の現場では
何が起こっていたか
杉野氏:そうですね。私はちょっと考え方が違います。アウトソーシングしたときにSIrを頂点にして何層もの下請け構造になるわけですよね。ですから比較的上のほうの階層では顧客が見えているわけです。官公庁であっても企業であっても。ただ下にいって、どんどんどんどん下請け、下請けで、丸投げしますから、丸投げされた下のほうは顧客の顔なんか見たことないわけですよ。そういう人たちが実際の開発をやっている。彼らには本当のエンドユーザー=顧客のニーズがきちんと把握できてないんです。それがいろいろな問題となってきている。たとえばテストケースをどう作るか? とかですね、システムの目的を理解していない人がテストする。
政井:確かに、実際にプログラムを作る現場=下請けでね、どちらかと言えば下請けの階層構造の末端の人がテストする。しかし、官庁も含めてお客様のニーズをちゃんと取り込んで、それをシステムに反映するというのは、元請けのSEがしっかりしていれば結構防げる話です。
芳賀氏:システムの問題にもレイヤーがあります。典型的な事例で言いますと、実際にレイヤーの低いところで起きているのは、まもなく裁判が結審いたしますけれども、みずほ証券の誤発注で顕在化したシステム不具合の話です。400億円の被害が出た、東証と富士通の問題ですね。これはプログラムミスなんですね。ちゃんとプログラムの分岐はやっているけれども、分岐の先のルーチンが抜けていた。構文が抜けていたんです。それをテストで見つけられなかった。もう本当にプログラミングの最後のところで起きている。これを東証で見つけろというのは大変に難しい。下請けの単体テストといいますかね、その段階で抜けていた可能性があります。ところが社会保険庁の場合はちょっと違っていて、間違ったデータがいっぱいあることがわかっていた。もう数百万件以上のデータが間違っていると、当時分かっていた。そして、それを見つけたのは社保庁じゃなくてSIrなんですよ。データを調べたら、大変エラーが多いと。そこでどういたしましょうかと社会保険庁に聞いたら、いいからそのまま移行しなさいと言われた。だから移行しましたと。
――バグの問題じゃないってことですか。
芳賀氏:バグの問題じゃない。もう明らかにデータが間違っている。これをリリースしたらどうなるかといいますと、直ちに年金の裁定が始まるわけです。今回問題にしているSIrが作ったのは、“記録”システムだけなので、データを蓄積していくだけなんです。それに1兆2千億円かけているんですね。その後は別のSIrが作った裁定システムがあって、記録データを使ってあなたの年金はいくら、あなたの年金はいくらと計算するわけです。それはすぐ始まるわけですからね。86年に記録システムが完成したら、直ちにそれを使って裁定が始まる。もうそのときから年金の計算を間違えるわけです。
――そのときにもう分かっていたんですか?
芳賀氏:そうです。
――問題が起きた理由は何と何と何があるのか? という整理をしたいのですが。たとえば丸投げするのがいけないみたいな議論もあります。また、社保庁がいいからってやっちゃったとしてもSIrはそれでいいのか、という議論もあります。こうした要素は、ほかにどういうものがあるんですか?
芳賀氏:客観的なところだけを挙げますと、まず1つは、大量の不良データがあることが分かっていてリリースしたという事実ですね。オンライン化の前に分かったのにそのままシステムに載せてしまった。
――これが1つあると。次はなんですか。
芳賀氏:次に大きな問題は、管理システムというものは、必ずPlan、Do、Check、Act、PDCAというサイクルで回さなければいけない。つまり管理システムを作ったらですね、それによって正しくデータを管理しているかということをチェックする仕組みですね。今回の場合でいうと、そのデータの持ち主は一般の保険加入者ですから、その人に「今あなたのデータはこうなってます」と確認してもらわなくちゃいけない。そうしたPDCAサイクルをシステムに設計で盛り込んでいなかった。これは当然盛り込まなくちゃいけないのに。PDCAというのは基本ですよ、仕事のサイクルとして。
――80年代の当時であってもですか。
芳賀氏:当時であってもです! 80年代であれば。PDCAサイクルでちゃんと品質を管理しましょうとデミングさん(William Edwards Deming博士)が我が国に伝えてくれたのは、1950年代ですからね。そうです。QC(Quality Control)です。今になってそれを社保庁が一所懸命やっているわけです。年金特別便とか、年金定期便とか。あるいはオンラインで見られるとか。
――なるほど
芳賀氏:それから3つ目の大きな問題は、年金手帳についてです。システムでは、手帳がキーになっていたんです。そして、年金手帳はいくらでもできるんです。転勤したらそこで年金手帳作って、ということですね。結果的にはこれが大きな問題になりました。97年段階でデータがピークになって、3億件になりました。それを密かに、統合を続けてきて、2006年段階で1億5千万まで減らしたんです。今の年金人口が約1億ですから、その残りの5千万件が不明データとして世間に発表されたというのが2007年段階なんですね。つまり、異動などによってどんどん不明データが増えるしくみになっていたんです。ただしこの問題は、今回の場合は大きな問題になったんですけれども、絶対的な問題ではない。データさえ正確だったら。直しは全部できますから、大丈夫なんです。
政井:おっしゃりたいのは、その間にシステムのデータ不備を直すチャンスがあったけれども、やらなかったという話ですね。
芳賀氏:そうです。
――年金手帳は、物理的にみんなの手元にあるわけですから、それをなんらかの形で照合しながら運用するようなことができればよかったのに、しなかった。
芳賀氏:正しく記録すれば、60歳とか65歳になったときに、「年金手帳はたくさんあるけれど、これは全部あなたのデータです」ということで、年金支払えるわけですね。
魚田氏:年金手帳があるということは、それぞれの手帳に別の番号がついているわけです。だから会社が変わったりすると、3つも4つも手帳つまり番号を持っているわけなんですね。しかも中身のデータが間違ったものになっている。名前や生年月日、住所が間違っていると、「名寄せ」が困難になります。そういうことで、誰のものか分からないデータが生じるのです。
――最初にデータ作るときに間違ってたわけなんですね。
杉野氏:途中でも間違えていました。
魚田氏:漢字の氏名をカナの氏名にソフトウェアによって自動変換しました。 氏名の読み方はいろいろあって、自動的に変換できそうにないことは、日本人なら誰でも知っています。それをやってしまったのです。その上、その時変換に使った辞書や仕様書を棄ててしまったので、今となっては究明も難しい。こんな考えられないことが起こっているのです。
――ほお。ありがちですね、時代背景を考えると。免許証も変でしたね。遠藤がエンフジになったり(笑)。
魚田氏:それから生年月日も丸めています。たとえば書類上のデータが、12日か15日か判断ができないときに、10日や11日にして入力する、そのため10日や11日生まれの人がやたらに多いのです。これが生年月日の丸め、信じられないですね。
――実際には姓名、生年月日、住所の一部でほとんど絞れるとは言われていますが。
魚田氏:ところが全然絞れないんですよ。もとのデータが間違っているから。
――要するに入力したときにおかしい、あるいは入力のチェックシステムがおかしい、バリデーション機構がない。だから、年金手帳という非常に物理的な証があるのに、照合できなかったということですね。
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