帯域幅の天使とフリー
ドラッグストアで配られる化粧品の試供品は、実際の製品よりはるかに小さな容器に入っている。実際の製品の価格も、ある値段よりは絶対に下がらないだろう。本も、紙ならば、炭素や水素からなるセルロースや金属性のインクといった実体からなっていた。ところが、電子書籍は無重量(0グラム)の「情報」であり、限りなく原価ゼロでダウンロードできてしまうところが根本的に違っている。
「ロングテール理論」で知られるクリス・アンダーソンが書いた『フリー 〈無料〉からお金を生みだす新戦略』(小林弘人監、高橋則明訳、日本放送出版協会刊)が話題となっている。ネットで加速する無料経済と、そうした時代における戦略を述べたものである。
無料といえば、それを実践している代表的な企業はグーグルだろう。彼らは、いままで他社が有料で提供していたワープロや表計算ソフト、ネット上のストレージなどを、次々と無料で使えるようにしている。YouTubeでは、コストが課題だったはずの動画配信プラットフォームまで、誰にでも無料で提供している。
ネットの権化というべきグーグルがそうなのだから、いまや「無料」がこの世界を支配しつつあるといっても過言ではない。国内では、グリーやモバゲータウンが「無料ゲーム」のテレビ広告を毎日のように流している。アップルのiPhoneアプリの世界を見れば、無料がいかに大きな勢力であるかも分かる。ネットと無料の間には、なにか重要なヒミツがあるというのは事実だろう。
ところが、『フリー』を読んでみると、意外や「無料」の文化はことさら新しいものでもない。著者は、それを(1)直接的内部相互補助(結局誰かが払っている)、(2)三者間市場(テレビと広告など)、(3)フリーミアム(基本無料+オプション有料)、(4)非貨幣市場(オープンソースなど)の4つに分類している。しかし、どれもネット以前からあったメカニズムである。
つまり、『フリー』は、『ロングテール』のような鮮やかなパラダイム転換を論じたものではない。ネットとデジタル技術によって、それが「新しいステージに入った」ということなのだ。その上で、無料経済について、歴史まで振り返って考察しているのが同書である。
競争市場では、価格は限界費用まで落ちる。それが、ネットではコンテンツを送り出すための限界費用は、ゼロに近いところまで下がっていく。その結果、それら自身に「無料」になろうとする力学がはたらくというのである。
米国のジャーナリストで未来学者のジョージ・ギルダーが、2000年に『テレコズム』(葛西重夫訳、ソフトバンクパブリッシング刊)という本を書いた。ギルダーは、その本の中で、帯域幅の制限のない社会・経済(テレコズム)においては、ユーザーたちは、限りなく明るく広がる光の中で情報処理する「帯域幅の天使」へと変貌をとげると予言した。
そうした時代はすでに到来しているといっても大きな間違いにはならないだろう。帯域幅の天使にとっては、古くさい書架に収まっていた書籍というパッケージのイメージそのものが過去のものかもしれない。無料になり、誰でも自由にアクセスできるようになることが、せめてそれをモダンに見せるのだとも思える。
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フリー~〈無料〉からお金を生みだす新戦略クリス・アンダーソン(著)日本放送出版協会
テレコズム―ブロードバンド革命のビジョンジョージ ギルダー(著)ソフトバンククリエイティブ
ネットで無料――
3人に1人が映画、3人に2人が音楽
無料でのコンテンツ利用については、アスキー総研が行なった「MCS(メディア・アンド・コンテンツサーベイ」でも詳しく聞いている。MCSは、1万人を対象にした、ネットを中心にしたメディアとコンテンツの消費実態に関する大規模な調査である。
映画、書籍、マンガなど、11ジャンル875作品の視聴・満足度・続編期待度、ウェブ323サイト・携帯91サイトの利用状況、ジャンル別の消費・利用実態。それらを、縦横にクロス集計して分析できるものだが、ネットで無料コンテンツ(映画・音楽)を楽しんでいる層についてデータを集計してみた。
「どのように映画を楽しんでいるか?」の問いに対して、全体で21%の人が「ネットで無料で」と答えている(図1。複数選択)。なんと、20代前半では約3人に1人の32.3%がそう答えている。パソコン習熟度で見ると、初級者で15.8%、中級者で20.9%、上級者では26.3%とスライドして増えていく傾向にある。
音楽では、20代前半で、実に約3人に2人の61.6%。女性も20代は59.3%が「ネットで無料で」と答えている(図2。ここでは内訳をのせてないがYouTubeの音楽ビデオなども含まれる)。パソコン習熟度で見ると、初級者で30.7%、中級者で38.2%、上級者で43.4%と、もはや、映画のような初級・上級者の開きはなくなっている。
より踏み込んで、利用サイトや利用機器とその使い方がどう影響しているかを見てみる価値もあるだろう。「無料」の正体を知るものが、これからの商売を上手くやっていけるはずだからだ。とはいえ、これだけでもデジタルによって「無料」というカルチャーが膨らみ、ユーザーの習熟度や環境によって全世代に広がる傾向があると見てとれる。
音楽、アニメ、映画ときたのだから、「書籍」にも無料はおとずれるかもしれない。電子書籍はデジタル商材なので、『フリー』が指摘するように「無料」となろうとする性質をもともと持っているからだ。それは、プロモーションとか、違法コピーであるとか、CGMであるとか、そうした議論とは別の次元で働いている。