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【所長コラム】「0(ゼロ)グラム」へようこそ

世界の「5台」のコンピュータの中身

2009年11月20日 06時00分更新

文● 遠藤諭/アスキー総合研究所

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コンピュータ時代の夜明け前、
紙製品で稼いでいたIBM

 『計算機屋かく戦えり』(アスキー・メディアワークス刊)という本で、わたしは、日本の黎明期のコンピュータ関係者に多数インタビューした。日本IBMの前身にあたる日本ワットソンで戦前から活躍された安藤 馨さんや、日本のコンピュータの立ち上げに直接関与した和田 弘さんや喜安善市さんといった方々から、当時の様子を長時間にわたって聞いた。

 実のところ、ワトソンが「世界のコンピュータ市場は5台」と発言したとされる1943年は、まだ世界にコンピュータは1台もなかった。1946年になって「ENIAC」の存在が明らかにされ、コンピュータは華々しくデビューする。したがって、当時はまだテレコミュニケーションの技術も考え方もなかった。民生向けのオンライン処理で使える世界最初のネットワークは、1964年の東京オリンピックのそれである(日本青年館にはその記念のプレートが飾られている)。

※記事掲載当初、東京オリンピックを1962年としておりましたが、正しくは1964年でした。

 安藤 馨さんによると、IBMの中でも、トーマス・ワトソン・ジュニアはコンピュータをやるべきだと主張して、トーマス・ワトソン・シニアと激しく対立していた。それもそのはず。当時、世界中に何万台ものIBMのPCS(パンチカードシステム)が稼働していたのだ。一般的な分類・集計・計算の業務ならPCSで十分。しかも、パンチカードの売り上げは、IBM全体の売り上げの3分の1を占めた時期もあるほどおいしい商売だったのだ。IBMがハードウェアやソフトウェア、まして情報ではなく、紙製品で稼いでいたというのは、はなはだ興味深い話ではあるが。

 一方のコンピュータは、1943年にはまだ夢の機械だった。1946年の「ENIAC」発表を伝える当時の雑誌記事を取り寄せてみると、核開発や天気予報のための微分方程式やシミュレーションといった高度な計算処理が期待されていたことがわかる。IBMが最初の商用コンピュータである「IBM 701」を発売したのは1952年。ところが、それと同じ頃、アメリカやイギリス、オランダなどが一緒になって「国際計数センター」という計画を打ち出している。高度な計算処理を行うコンピュータは、ローマに1台あれば当時の需要を満たせるというものだ。日本も1951年に条約会議に参加して調印している。

 つまり、ワトソン・シニアの発言は、当時としてはことさら突飛な発言ではなかったはずである。そして、世界中の企業や公的機関で目下稼働中の数万台のパンチカードシステムで行われている計算処理まで、すべて5台のコンピュータの中に飲み込んでしまおうという話ではなかったのだ。それに対して、パパドプラスの言う5台は、世界中のほとんどのコンピュータを飲み込んでしまう可能性がある。

5台のコンピュータ
トーマス・ワトソン・シニアの「世界のコンピュータ市場は5台くらい」といったのは、あくまで高度な計算処理についてのものだ。それに対してグレッド・パパドプラスの「5」台は、5つのクラウドに世界のコンピューティングが集約されようとする動きを象徴している。

 その前提となる重要な技術のひとつが、Webブラウザーであることは間違いない。ブラウザーを取り巻くキーワードも、次々に浮かびあがってきている。Google Chromeのパーティで話した内容にたどりつかないうちに長くなってしまいました。以下、次回。


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