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第2回 山口編

岩国市観光協会の贅沢な「悩み」

観光客増の岩国のWebが地味な「理由」とは?

2009年11月16日 12時00分更新

文● Web Professional編集部

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 大宰府から京に向かう一行が通ったのは旧山陽道だ。九州側の大宰府路と連結して、当時の「副首都」である大宰府と畿内を結ぶ道路であり、官吏の往来が盛んだったろう。今で言えば、大阪と東京を結ぶ国道1号線のような、主要幹線道路である。Googleマップで福岡市から瀬戸内海側の地形を見ると、太宰府市から北九州市までの国道3号線のルートはおおよそ低地。本州の最西端にある下関市から周南市までは海岸線沿いに平地があるが、ちょうど下松市の辺りで平地が途切れることがわかる。海岸沿いは大回りになる上に山道になるので、旧山陽道は岩国山を越えてショートカットし岩国から広島平野に入る。今の国道2号線も、ほぼこの経路である。


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 奈良時代の岩国を治めていたのが岩国(磐国)氏である。だから、岩国山というのは、「岩国さんのところの山」といった意味で、「道が荒い」と詠まれたのが、どの山なのかははっきりとわからない。現在の岩国山は旧山陽道がいったん山間を出て岩国市に入った先にあり、ここで山の神様に道中の安全を願って手向けをするはずがないから、旧山陽道が岩国に入る前にある欽明路峠(きんめいじとうげ)あたりのことだろう。ともかく、岩国山を越えると平地になり、そこから広島までは瀬戸内海沿いに進める。旧山陽道はそうして畿内につながっていた。

 日本の平地は、大半が沖積平野で、河川が運んできた土砂がたまって平地になる。岩国の地は、平野というほど広くないが、理屈としては、錦川が造った沖積平野である。ふたたびGoogleマップで見ると、錦川が山を削り取って岩国の辺りに平地を作ったことがよくわかる。錦川の巨大な中州は、もともとは旧日本海軍の飛行場で、現在は米海兵隊の岩国基地として利用されている。


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