夜明けのAndroidとiPhone
古川:話をばったりひっくり返すんだけど、MOTOなんかが出したAndroidのツールキットっていいと思わない?
清水:Androidって、Googleのですか?
古川:そう。例えばね、ここにあるフォトフレームにさ、自分で撮った写真と、友達が撮ってくれた写真と、好きな番組とニュースを自由に表示したいとするよね。
遠藤:いいですね。
古川:で、あるものはフォトフレームだし、あるものはテーブルに埋め込みたいし、あるものはウェアラブルにしたいと。そういうことを実現するツールキットがESECっていう組み込み型システムの展示会に出ていて。chumby(註:インターネットから情報を取得して表示する小型デバイス)とかAndroidとか、そういうコンポーネントがフォトフレームに入ったり、組み込み型おもちゃ、組み込み型文房具、組み込み型ランドセル、組み込み型家具みたいな感じで入り始めると、その上に自由にコンテンツを乗せたり、そのデバイス自体を触ったり、気持ちを込めてポンとプレゼントしたり、というようなことがデバイスを超えてできるようになると、今とはだいぶ違ったことが起こってくると思うんだよね。
遠藤:うーん。
古川:今、例えば離れたところに住んでいるおじいちゃんおばあちゃんと孫がさ、両方がテレビを持っていて、デジカメを持っていて、プリンターを持っていてっていう状況でもさ、写真を見せ合おうと思うと、ICカードを用意してプリントして封筒に入れて送る、みたいな事をやらなきゃいけないわけじゃない。でも、chumbyなんかがあって一度セットアップしてあれば、FacebookやFrickerにアップした写真が翌朝にはおばあちゃんの枕元にあるchumbyに映ってるっていう状態になるわけ。ニュースなんかを読むにしても、双方が長い時間かけて読んだニュースをプライオリティを上げて表示したりね。
Androidがいいと思うって言うのは、別に電話として面白いっていうわけじゃなくて、そういう風にあらゆるデバイスをインテリジェント化して、友達とか、家族とか、仕事の仲間とかの間で情報を共有したりとか、「繋がってる」っていう意識を高めたりとかっていうことが、今よりずっと簡単にできるようになる。それから、キーボードとかマウスとかとは全然違ったインターフェース、例えば掴んだものを丸めて投げたら、相手側に「おにぎり」が届くとかさ、そういうものが実現すると面白いと思うんだよ。ユビキタスエンターテインメントで作ってるZeptoPadなんかも、リアルタイムでワークシートを共有したりするときには割と近い感覚があるよね。これが今は描く、掴む、っていうようなデザイン的なものを共有してるんだけど、手を突っ込んでおばあちゃんの肩が揉めたりとか、っていうようなところまで他のデバイスと連携できたらいいと思う。そういうことは今あるものの延長線上にあると思うんだ。
遠藤:Androidの開発環境っていうのはそういうところまで意識してるんですか?
古川:そうだね。Androidの環境はね。で、MOTOっていうのはもともと、IDEOと同じようにデザインをやってきた会社で、まあ、流行ったかどうかは別にしてZUNEなんかもあそこが作ったんだよね。
遠藤:僕のAndroidのイメージっていうのは、SPOTみたいなものと、IBM PCの中間みたいなところにあるプラットフォーム。PCアーキテクチャのようなプラットフォームになっていくと思うのです。それに対してiPhoneっていうのは、ファイルの概念がないじゃないですか。こういうこというと怒られちゃいそうだけど、リコーの「マイツール」に近いと思うんですよね。
古川:ああ、そうだね。
遠藤:あれは、フロッピーディスク1枚が帳簿一冊に対応しているのですね。1ページ目はある日のデータ、2ページ目は別の日のデータ、3ページ目はそのグラフ、4ページ目はniftyへアクセスとか、そういう設計なわけです。iPhoneをいじっていたら、このマイツールのことを思い出したのですよ。だから、iPhoneのメーラーは、日付や送信者で並べ替えもできないし、検索もできない。でも、あれは手紙のスタックだからあれでいいんだということですよね。どれだけページがあろうと、指で送って見てくれと。
清水:検索はOS3.0でつきましたけどね。
遠藤:え、そうなんだ。じゃあ、今の議論で言うと、それは堕落ですね。
清水:堕落(笑)。
遠藤:重要なことは、OSが見えない。ファイルが見えないってことですよね。Windows mobileは、ファイルが見える。
古川:だからダメなんだっていうわけね(笑)。
遠藤:いやいや、そんなことは言ってないですからね(笑)。どっちがいい、どっちが悪いじゃなくて、決定的に違う、っていうことなんですよ。「アプリケーション・ベースド・コンピューティング」と「アクティビティ・ベースド・コンピューティング」という言い方をしますが、Androidってちょっと中途半端な印象を受けるんですよ。
清水:Androidにもファイルはありますよ。
遠藤:別にiPhone最高、とか言うつもりは全くないんだけど、マイツールなんかは、すごい地方に住んでるオジサンとかが平気で使えていたわけです。それと、iPhoneの場合、とにかく画面を触ると動いちゃうじゃないですか。そういうところが、他と一線を画してると思うんですよね。だから、さっき古川さんが言われた、「丸めて投げる」なんて事が、ファイルによらない仕組みで実現できたら、画期的ですよね。
清水:Androidっていうのは、良くも悪くもコンピューター屋さんが想像して作った携帯電話のフレームワークなんですよ。僕らはかなり研究したんですけど、やっぱり作りがコンピューターっぽいんです。携帯電話を誤解してるところもある。これは携帯電話であってデスクじゃないのに、デスクトップがあったり。
遠藤:ああ、なるほどね。
清水:でも、Androidの注目すべき点はそういうところじゃなくて、シェルそのものを入れ替えることができるところなんですよ。携帯電話の待ち受け画面、iPhoneのスプリングボードもAndroidだったら書き換えることができる。この部分が、携帯電話屋さんの間では一番興味のあるところで、ODP(on device portal)とかって言われてるんですけど、そうやって、今まで完全にOSのレベルで制御されていた部分を自由にできるって言うところが新しいんです。だから、今出てる端末のUIがどうこうっていうのはすごく表面的なところで、そのレベルだとiPhoneとは勝負にならないんです。
遠藤:ダメ?
清水:そこは本質じゃなくて、今後は、先ほど古川さんがおっしゃったような組み込みの分野であるとか、見ただけではAndroidかどうかわからないくらいシェルが作りこまれた端末が出てきたときに、真価が発揮されるんですよ。極端なことを言えば、iモードだって、iPhoneだってエミュレートできるわけだし。
遠藤:中国ではもう売ってると日本Androidの方がおっしゃっていました。iPhoneUIのAndroidケータイ。
清水:そっくりな奴が(笑)。だから、僕はAndroidにはすごく期待はしつつも、今の端末についてはあんまり騒ぐところじゃないと思っているんですよ。iPhone的な発展をしていくかというと、必ずしもそうはならないと思います。
遠藤:iPhone的な発展というと、App Storeで「ニュース」のカテゴリを見ると、600本くらいニュースのリーダーがあるんですよ。『ニューヨークタイムズ』とか、『ウォールストリートジャーナル』とかいろいろあるんですが、全部違うソフトなのに標準的なスタイルができつつある。記事の閲覧方法もすごく似てるんだけど、特に広告のフォーマットが全く同じなんですよ。少なくともニューヨークタイムズとウォールストリートジャーナルは一緒で、こうやって横にしてみると、画面の下の部分に広告が突き出して出てくる。その両脇に記事がチラっと部分的に見えるので、なんとなく何が書いてあるのかはわかる。横断広告みたいに画面が狭くなる感じがない。こういうのを見てると、iPhoneは、ビューワとしてものすごい勢いで道を切り開いてるんじゃないかなと思うのですよ。
清水:ああー、そう思います。
遠藤:出版の世界では「組版」という言い方をしますが、ページのレイアウトデザインに代わる力をインターフェースが持ち始めてると思うのです。中国では、教科書が電子ブックになるなんて話もあるし、アマゾンのKindleもあるし、この領域は今メチャメチャ熱いですよね。
その中でもiPhoneは、画面の見た目とかシェルの操作方法とかいうのではなくて、触ったときの感触というのが重要視されているところを注目すべきだと思うんです。Windows mobileやAndroidは一個オブジェクトができたらそれを実直に書き込んでるじゃないですか。そこが根本的に違って、偶然なのか狙ったのかはわからないんだけど、iPhoneの場合、印刷された「紙」のような感覚になっている。単に動作を軽快にするためにやっただけかもしれないけど。それが、新しいメディアであることを実感させてくれる部分でもある。
清水:なるほどなるほど。
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