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四本淑三の「テレビを捨てよ、動画サイトを観よう」 第7回

なぜ我々は「電子工作!」に燃えてしまうのか?

2009年06月14日 12時00分更新

文● 四本淑三

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いい大人は「けいおん!」に萌えるだけではないのである

「Make: Tokyo Meeting 03」(詳細は後述)に出展されていた、denha's Channel 制作によるLEDバッヂ。様々な発光パターンで電子工作好きの心をピコピコ揺さぶる

 齢45にもなる大人は、誰でも電子工作が得意だ。プリント基板のパターンから即座に回路構成を理解し、そこに乗せるパーツのイメージも瞬時に浮かぶ……はずだ。

 もっとも世の中には様々な人がいる。中には例外もなくはないだろう。でも大抵は得意なものだと信じたい。

 何故なら半田ごても握れない中年男というのは、缶から取り出したタケノコの水煮をそのまま白米の上に置き、それをもって「たけのこご飯」と言い張る主婦のようなものだからである。

 しかし万が一、仮にもそんな中年男がいるとすれば、一体全体どのツラ下げて……と、ここらで面倒くさいのでショートカットすると、それは私です。

 今の世の中、大抵のものは既製品として安く手に入るし、黙って買えば大抵の用に間に合う。これは「お客様のニーズ」を徹底的に調べ上げた結果の、資本主義とマーケティングの勝利だ。「ガラパゴスだ何だと言われても、やっぱ日本の携帯電話はすごいよね」みたいな話である。

 だが長い目で見て、それは我々の手から生活に必要な技術を奪うことになりはしないか? 鮭が初めから切り身の姿で泳いでいるわけではないように、大抵の電子機器は、誰かが設計したものを誰かが作っている。そのために必要な知識が共有されない状態が長く続くと、世の中どうなるのだろう?

 ということを「Make: Tokyo Meeting 03(以降、MTM03)」*1に出かけて、私はしみじみと考えたのであった。

Make: Tokyo Meeting 03会場の様子。元小学校の体育館(!)が使用されている

 これは日本中のギークが結集し、その情熱の発露たる作品を持ち込んで披露する一大イベントであり、消費する一方のロックフェスのようなものに比べ、なんと清々しい祭典かと感動するわけだが、私はここにおいても消費するだけのばか者でしかなかった。

 ここで観た多摩美術大学の学生によるユニット、Open Reel Ensembleのライブは衝撃的だった。外から制御できるように改造したオープンリールデッキを使い、リアルタイムにボーカルを録音しながらリールを手で回してスクラッチするという、メチャクチャにカッコいいパフォーマンスを披露してくれた。

 こうしたジャンク・エレクトロニクスで作られる音楽は、得てして音楽以外のスケールで見ることを観客に強いる。つまり音楽として面白くないことも多いのだが、彼らがすごいのは高い次元の音楽として成立している点だ。

 自分達の音楽に必要なハードを自分達で作ってカッコいい音楽をやる。ううむ、これはやられた。そして私は間抜けにも思ったのだ。「オレも電子工作さえできれば、ああいうカッコいいことを思いついたりするのかなあ」と。

 そんな妄想を抱きつつ、MTM03のあちこちで目にしたのが「ブレッドボード」と「Arduino(アルドゥイーノ)」だ。これらはほとんどの電子工作系の展示で使われていた。

*1: ハッカー精神を拡張したDIY雑誌「Make:」を出版するオライリージャパン主催のイベント。

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