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アキバの顔・古炉奈、2度目の決断――業態変更の真相を追う

2009年06月13日 12時00分更新

文● ASCII.jp編集部

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戦後ラジオ市時代からの落とし子
「コロナ」40年の歴史を紐とく

 今回の話はいずれにせよ衝撃的なものに変わりはないが、「古炉奈」が現在の形になるまでにも、同様に大きな「転換」があった。

 それは秋葉原そのものの変化だったと、社団法人日本コンピュータシステム販売店協会の松波道廣氏は語る。松波氏は、古炉奈を経営するマルマツ産業の社長・松波雅治氏の直兄だ。

 話は、敗戦間もない時代にまでさかのぼる。

 1950年代、秋葉原には駿河/小川町界隈のいわゆる「闇市」が広がる形で、真空管ラジオ市が軒を連ねていた。1951年には現在の電波会館・ラジオ会館の原型となる電気屋街が生まれた。その一角に松波氏の父が設立したのが「松波無線」だ。

古炉奈の入っているスペースに、当時は松波無線本社が入っていた

 松波無線は徐々に成長し、ラジオ会館の2階を本社スペースにするまでに発展した。「2階でラジオを作り、1階の店舗スペースで売る」という業態で売り上げを伸ばしてゆき、やがて1966年には自社ビルを設け、店舗そのものを移管することになった。

 「そのぽっかり空いた場所で何かをやろうということになり、そこで誕生したのがコロナだったんです。当時の秋葉原に飲食店はあまりなかったので、周囲の会社にとって格好のランチスペースになっていましたね」

当時の「コロナ」は現在の姿とはまるで異なる普通の喫茶店だったという

 当時の「コロナ」は現在の「古炉奈」とはかなり様相が異なる。漫画が置かれ、会社員が昼食を食べて話をする、いわゆる「普通の喫茶店」だったのだ。そこに初めの転換期が訪れたのはそれから20年後。日本がバブル景気に浮かれ、秋葉原には初期のPCゲームが並びはじめ、現在の「アキバ」の姿があらわれはじめた1989年のことだ。

 そのとき勢いを保っていたのが、AV機器やブランド物などの高級品を扱っていたシントク電気だ(1993年、バブルの崩壊とともに倒産)。時代はハイブローな「本格」の空気を求め、人々は気を急かして消費に走った。その時代を反映すべく作ることになったのが「本格喫茶」としての「古炉奈」だった。

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