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「先生何やってんすか」の真相を聞いてみた

これぞ「プロの犯行」 鼻そうめんPが初音ミクで遊ぶワケ

2009年04月30日 16時00分更新

文● 四本淑三

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トランス界デビューが「親バレ」していた

── では少しさかのぼって、「Hiroyuki ODA」名義で世界デビューする経緯を教えてください。

HSP:自分のwebサイトで曲を公開していたんです。それをSevensenses recordings※1のDJ Matsunagaさんが聴いて「うちでやらないか」と。その後、Armin van Buuren※2がツアーで来日した際、DJ Matsunagaさんが僕の曲が入ったCDを彼に渡したんです。そしたら正式契約前、勝手にラジオで流されてしまった(笑)

── おいおいArmin!(笑) そのラジオが「ASOT」※3ですね? そこで「Transmigration」という曲が「Tune Of The Week」に選ばれて、国内外で一気に注目された。

HSP:2006年だから結構前ですね。当時、日本人でそういう人はあまりいなかったので、珍しかったとは思います。

Transmigration/Injection

Transmigration/Injection

── 「Transmigration」と「Injection」はiTunes Storeでも配信されていますが、海外では「armada music」※4でビニール盤が売られています。ウェブで見てもカッコいい。

HSP:ああ、そのビニール盤、なぜかうちの親が買っていてですね……。

── ええっ!?

HSP:実家に帰ったらあったんです。「初めて海外通販で買ったわよ。あんたも1枚持っていきな」って、意味が分からないですよね(笑)

── 親御さんはこういう形で音楽やられていることはご存知だったんですか?

HSP:特に話をした覚えはありません。「あんたの名前を検索したら……」みたいなことらしいです。ネットは怖い。親にいろんなものを見られるのは非常にやりにくい(笑)。


※1Sevensenses recordings:Hiroyuki ODAが所属するトランスに特化した日本のインディーズレーベル。サイトはこちら
※2Armin van Buuren:アーミン・ヴァン・ブーレン。オランダの有名なDJ、プロデューサー。UKの専門誌「DJ Magazine」で2007年、2008年と連続してTOP DJに選出されている。自身のサイトはこちら
※3ASOT:A State of Tranceの略。Armin van Buurenのネットラジオ番組。世界中に多くのリスナーを持ち影響力も大きい。Hiroyuki ODAの「Trancemigration」は2006年1月12日配信の「EPISODE 231」で聴ける。サイトはこちら
※4armada music:Armin van Buurenのレーベル。HSPの親御さんが買われたのはこれ


曲をBBSに投稿 「やっていることは変わっていない」

── そこからぐっとさかのぼって、音楽を始めた頃の話を聞かせてください。

HSP:最初はMML※5でパソコンの内蔵音源を使っていました。中学生くらいの頃ですね。その頃に聴いていたのは「TM NETWORK」あたりです。でも当時(90年代)の小室サウンドは好きじゃなくて、中古を漁る毎日。「昔の小室のほうがいいじゃん!」って。

── ちょっと変わった子供ですね(笑)。パソコン以外に楽器はやっていました?

HSP:ピアノはやっていました。あまり好きじゃなかったんですが、後で役に立ちました。それから高校の頃にヤマハの「EOS」というシンセをバイトで手に入れています。あとは友達が持っていたROLANDのGS音源を借りて、自分で作った曲をパソコン通信にアップロードしたり。

── 今、ニコ動でやっていることと変わらないですね。

HSP:同じです。やっぱり公開して反応がもらえるのが嬉しかった。その当時は「東京BBS」※6とか「ゆいNET」※7につないでいました。

── 懐かしいですね。ユーロビート調の新作「YOUTHFUL DAYS' GRAFFITI」を聴いて、実はこの人バブル世代なのかと思ってましたが(笑)



HSP:ませていたんですね。小学生の頃に行った旅館の温泉でなぜかユーロビートがかかっていたんですが、それに衝撃を受けたんです。でも、子供だったから当時は何のジャンルの曲かは分からない。あとでPWL(Pete Waterman Ltd.)がプロデュースしたTMNの曲(「Get Wild'89」)で、「あれはユーロビートだったのか!」と。それでまた昔のCDを買い漁る(笑)。

── 記憶の深層にユーロビートがあったと(笑)。そこから洋楽へ行くわけですね?

HSP:「Capella」や「49ERS」(フォーティーナイナーズ)、「2 Unlimited」とか。そこから若干ポップ路線の「Me&My」とかね。クラブミュージックに興味を持ち始めたのもその辺からです。

── 90年代半ばですね。クラブでDJをやったことは?

HSP:ないです。その頃は18歳未満だから入れません(笑)。電気グルーヴなどが出ていたレイヴイベント「WIRE」には毎回行っていました。それから「Chemical Brothers」「Underworld」「Prodigy」「Aphex Twin」と、90年代後半はテクノどっぷり。

── 90年代の正しい青春です。そこからトランスへ行くわけですね?

HSP:ミーハーなので流行りものを聴いちゃうんです。今日のトランスの源流に当たるかもしれない「Robert Miles」なんかが、まだハウスのカテゴリーに入っていた時期ですね。


※5MML:Music Macro Languageの略。BASICのPLAYコマンドを発祥とする音楽記述言語。
※6東京BBS:日本最大の伝説的草の根BBS局。2001年に閉局。
※7ゆいNET:MIDIデータなど音楽に特化した巨大BBS局。2005年に閉局。


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